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真金一里塚(まがねいちりづか〔在地名より「まかねいちりづか」(「真金」の「か」が濁らない)とも呼称されるが、文化庁の「国指定文化財等データベース」での読みは「まがねいちりづか」である(地来呼称であるため双方とも正しい呼称とされる)〕)は岡山県岡山市北区吉備津に現存する山陽道・西国街道の一里塚である。国の史跡に指定されている。 == 概要 == 江戸時代に岡山藩より庭瀬藩を経由して浅尾藩以西に至る山陽道・西国街道(松山往来を重複街道とする)の一里塚として、当時の備中国庭瀬藩板倉郷の同街道上に設定された塚。後の市町村合併を経たために場所の地名は幾度か変わっているが、位置は設置時より変わっていないとされている。現在も岡山市によって管理されている街道上下現存の一里塚である。 岡山城下から西行した際における2番目の塚であり、万成一里塚〔前後の一里塚である「万成」「新庄」の両塚は現存していない。万成一里塚は現在の岡山市北区万成の、新庄一里塚は現在の岡山市北区新庄下における、山陽道の路上にあったとされている。〕の次塚、新庄一里塚〔の前塚である。備中国(庭瀬藩)の国境付近に在しており、岡山藩の在する備前国から備中国に入って最初に見る事のできる一里塚でもある。逆に備中国から備前国に東行する際には、本塚に至れば目の前が備前国であることを告知する「国境上の一里塚」にもなっている。 また、同地と金刀比羅宮を結ぶ往来街道である金毘羅往来の北往来(一宮・吉備津ルート。吉備津金毘羅往来)の通過点〔金毘羅往来のまち、早島 (早島町公式サイト)より。〕であり起点設定所のひとつとされている。ただし実際の街道分岐点は、真金一里塚より300mほど西にある吉備津神社参道(通称・吉備津松並木)あるいは塚より850m西にある板倉宿(後述)となっている。往事の吉備津松並木は他ならぬ吉備津神社の境内でもあったため、ここを山陽道との分岐とすると、吉備津金毘羅往来が単独の往来として分岐するのは同社南西にある宮内鳥居の位置になる。 1928年(昭和3年)3月24日、一里塚としての形式をよく保ち当時の街道の名残を保持しうる塚であるとして、国の史跡に指定された。〔昭和3年3月24日内務省告示第70号(参照:[])〕元々は街道の北側に黒松、南側に榎の巨木が植わっていたとされているが、巡り合わせが悪く枯れてしまったために現在では北側に松、南側に榎の若木を、それぞれ植え直して成長させている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真金一里塚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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