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真鶴 秀五郎(まなづる ひでごろう、1902年3月30日 - 1937年12月4日)は、奈良県山辺郡(現:奈良県天理市)出身の元大相撲力士。本名は窪田 正義(くぼた まさよし)。 == 来歴 == 1902年3月30日に奈良県山辺郡(現:奈良県天理市)で興行師を営む家に生まれる。成長するにつれ力士を志し、1918年5月に追手風部屋(東京相撲)へ入門、故郷の川に因んだ「吉ノ川」という四股名で初土俵を踏んだ。追手風部屋での在籍期間は長くなく、直後に同じ東京相撲の湊川部屋へ転籍した。 三段目に所属していた頃の1923年1月場所千秋楽の夜、湊川部屋に所属していた綾龍と口論の末に喧嘩となり、近くに置いてあった刀を投げ付けて負傷させる事件を発生させた。この騒動が日本相撲協会へ知れ渡れば即刻破門・除名されるが、それを心配した部屋の女将が密かに手紙を持たせ、脱走という名目で朝日山部屋(大坂相撲)へ転籍させた。 柔軟かつ足が長く、突っ張りから右四つで寄るか吊る豪放な取り口で大坂相撲では次代の横綱と期待され、前頭筆頭まで出世した。しかし、1926年に東京相撲との東西合併が決定し、それによる番付統合のための合併場所が開催されたが、この合併場所の取組において大坂相撲は東京相撲より力量が劣ることが判明した。それでも真鶴は大坂相撲の力士として唯一、東京相撲の力士と互角に勝負することが出来たため、既に吉田司家から横綱免許を授与されて正式な横綱であることから格下げ出来ずに「張出横綱」としてそのまま編入させた宮城山福松を除いては、大坂相撲の力士として最高位となる前頭筆頭に真鶴の名前が記された。1927年5月場所では西ノ海嘉治郎(3代)から金星を奪い、1928年1月場所で小結へ昇進、その後は前頭筆頭と小結の往復が続くが、右足の関節炎で番付が降下していく。 1929年1月場所で玉錦三右エ門と対戦した際に、立合いを巡って行事と口論となったことで棄権しかけたばかりか、近くにいた関係者に説得されて土俵に戻ったものの、立合いで玉錦を拳骨で殴る暴挙に出た(取組は寄り倒しで玉錦の勝ち)。しかし、この一件が協会の元へ届いたことで真鶴は1931年に除名処分となった。番付は同年10月場所まで記載されたものの、この時は既に除名処分が下された後だった。さらに、1931年夏には露店商と喧嘩し、警察署へ留置されたことで番付からも削除された腹いせとして、1932年1月には酒に酔って神楽坂警察署へ火鉢を持って乱入して大暴れした。 大相撲の世界から追い出された後は地方相撲へ加入したが、1937年12月4日に死去、。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真鶴秀五郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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