|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 矢 : [や] 【名詞】 1. arrow ・ 口 : [くち] 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening ・ 陽 : [よう] 1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1 ・ 陽子 : [ようし] 【名詞】 1. proton ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
矢口 陽子(やぐち ようこ、1921年8月27日 - 1985年2月1日)は日本の元女優。戸籍上の本名は黒澤喜代(旧姓:加藤)だが、実生活では「喜代子」と名乗っていた。夫は映画監督の黒澤明。 ==人物== 昭和高等女学校(現・昭和女子大学附属昭和高等学校)中退。1937年に若園照美の芸名で松竹少女歌劇団入団。1940年東宝映画に移籍。1944年に黒澤の2本目の監督作品『一番美しく』に主演する。1945年に黒澤と結婚(挙式は明治神宮。媒酌人は山本嘉次郎夫妻。)して女優を引退した。引退後は家庭に入り、黒澤が気持ちよく映画を撮れるように、内助の功を発揮した。女優から嫁に来ているが、料理が出来ないと監督の嫁は務まらないと思い料理を勉強し、宴会の準備、黒澤だけでなくスタッフの弁当作りまでやっていたという。周りからはゴッドマザーの愛称で呼ばれ、娘の和子によると、唯一黒澤が頭が上がらなかった人だと言う。黒澤との結婚のいきさつについては諸説あるものの、矢口によると、黒澤の方が積極的で、たくさんの手紙をもらい口説かれたと語っている。 結婚後は、黒澤が外国の土産に妻のために服を買ってきた時、それが小柄な矢口にはとても大きすぎて、「何十年も一緒に暮らしているのに、私の大きさも知らないで」と嘆いたが、それほど当時の黒澤の頭には映画のことしかなかったというエピソードになっている。〔『黒澤明「夢は天才である』文藝春秋1999年〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢口陽子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|