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矢島せい子 : ミニ英和和英辞書
矢島せい子[やじま せいこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [や]
 【名詞】 1. arrow 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

矢島せい子 : ウィキペディア日本語版
矢島せい子[やじま せいこ]

矢島 せい子(やじま せいこ、1903年4月6日 - 1988年1月24日矢島せい子 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社コトバンク、2009年11月23日閲覧。〕)は、日本社会福祉運動家民俗学者である。障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会初代会長、ヘレン・ケラー賞受賞者〔。
== 人物・来歴 ==
1903年(明治36年)4月6日東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に歌舞伎作者・竹芝伝蔵(本名・加藤伝太郎)の娘・加藤せい子として生まれる〔。弟に俳優の四代目澤村國太郎加東大介、妹に女優の沢村貞子がいる〔。幼くして叔母の石井家に養女に出され、弟妹たちとは異なる生活を送る〔矢島せい子年譜 、うずら文庫、矢島敬二、2009年11月23日閲覧。〕。
旧制・佐藤高等女学校(現在の女子美術大学付属高等学校)を卒業し〔、日本女子大学家政科に入学する〔。1922年(大正11年)、同学を中退した〔。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災に被災し、栃木県に疎開する〔。同地で旧制小学校の代用教員を務め、翌年、小学校本科教員の資格を取得、1925年(大正14年)に旧制・浅草小学校(現在の台東区立浅草小学校)に転勤する〔。
1926年(大正15年)8月、旧制・東京帝国大学(現在の東京大学)に勤務する科学史家の矢島祐利と結婚〔〔、同年12月、浅草小学校を退職する〔。文夫、敬二、まさ子、敏彦の4児をもうける〔。1937年(昭和12年)、まさ子、敏彦が疫痢を患い、まさ子が亡くなる〔。
1941年(昭和16年)、夫が旧制・京城帝国大学(現在のソウル大学校)教授に就任して、日本統治時代の朝鮮京畿道京城府(現在のソウル特別市)に滞在する〔矢島祐利 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2009年11月23日閲覧。〕〔。翌年、京城幼児生活団の活動を始める〔。
第二次世界大戦終結後、帰国して、夫は進駐軍の経済科学局に勤務する〔。1948年(昭和23年)、夫が東京物理学校(現在の東京理科大学)教授に就任している〔〔。1952年(昭和27年)、「日本子どもを守る会」が結成されこれに参加する〔。
1953年(昭和28年)、夫との共著『家事と雑用』を岩波書店から上梓する。1967年(昭和42年)、「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会」を結成、初代会長に就任する〔。「日本子どもを守る会」副会長にも就任、障害者や児童の福祉に尽くした〔。1977年(昭和52年)、ヘレン・ケラー賞を受賞した〔。
1988年(昭和63年)1月24日、死亡した〔〔。満84歳没。没後に回想録が多く出版された。夫の祐利は1995年に没した。子息の文夫(2006年没)は京都産業大学宮城学院女子大学教授を歴任、敬二は東京理科大学教授、敏彦(1994年没)は埼玉大学教授となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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