翻訳と辞書
Words near each other
・ 矢島駅
・ 矢島高校
・ 矢島高等学校
・ 矢崎バレンテ
・ 矢崎仁司
・ 矢崎俊輔
・ 矢崎健治
・ 矢崎充彦
・ 矢崎光圀
・ 矢崎公二
矢崎力
・ 矢崎勘十
・ 矢崎化工
・ 矢崎嵯峨の屋
・ 矢崎広
・ 矢崎彦太郎
・ 矢崎文也
・ 矢崎新二
・ 矢崎村
・ 矢崎武夫


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

矢崎力 : ミニ英和和英辞書
矢崎力[や]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [や]
 【名詞】 1. arrow 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [ちから, りょく]
  1. (n-suf) strength 2. power 

矢崎力 ( リダイレクト:関戸力 ) : ウィキペディア日本語版
関戸力[せきど つとむ]
関戸 力(せきど つとむ、後に矢崎姓、1915年3月25日 - 1987年11月23日)は、北海道小樽市出身の元ノルディック複合クロスカントリースキー選手。
== 来歴 ==
旧制小樽商業学校札幌鉄道管理局
小樽商業時代の1933年、第11回全日本スキー選手権大会ノルディック複合個人とクロスカントリースキー個人長距離(18km)の少年の部で優勝。卒業後札幌鉄道管理局に入り、1935年の全日本スキー選手権大会のノルディック複合とクロスカントリースキー個人長距離(17km)の成年の部でともに2位となり、翌1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックの代表に選出される。
同オリンピックのノルディック複合個人では35位、クロスカントリースキー個人長距離(18km)では55位、4x10kmリレーで12位だった。また、同オリンピックより採用されたアルペンスキー競技アルペンスキー複合(滑降・回転)にも出場したが、後半の回転で失格した。
その後はクロスカントリーに専念し、1939年の全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人耐久(30km)では、前年まで2年連続優勝をしていた但野寛を破り、念願の同大会成年の部初優勝を果たした。
小柄で物静かな性格だったが、心肺機能はずば抜けており、スタート時もゴール時も脈拍はあまり変わらなかったという。
引退後は1976年のインスブルックオリンピックでスキーチームの監督を務めた他、全日本スキー連盟理事・北海道スキー連盟副会長なども歴任した。
弟の関戸末弘もクロスカントリースキー選手で、後に三馬ゴムスキー部や陸上部を指導した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「関戸力」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsutomu Sekido 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.