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矢沢 宰(やざわ おさむ、1944年5月7日 - 1966年3月11日)は新潟県見附市出身の詩人。 == 略歴 == *1944年(昭和19)5月7日、父の勤務先だった中華民国江蘇省海州に生まれる。 *1945年(昭和20)7月、父の現地召集に伴って、母の出身地だった新潟県見附市河野町(当時は古志郡上北谷村)に移住する。 *1951年(昭和26)4月、見附市立上北谷小学校に入学。 *1952年(昭和27)12月、復員した父から感染して腎臓結核を発症する。 *1953年(昭和28)4月、新潟大学医学部附属病院で右腎摘出手術を受ける。その後は入退院を繰り返し、小学校にもほとんど行くことができなかった。 *1957年(昭和32)12月、残った左腎臓にも結核発病。 *1958年(昭和33)3月、同級生より1年遅れて小学校を卒業する。同年、県立三条結核病院小児科に入院する。宰が14歳の同年10月頃より詩を、11月頃より日記をつづり始める。病は重く、絶対安静を命じられていた宰は、手鏡で周りを見ては鉛筆で大学ノートに詩や文章を書きつづった。 *1959年(昭和34)5月、詩集「それでも」を手づくりで編む。 *1960年(昭和35)8月、詩集「詩の散歩」を自装で編む。 *1961年(昭和36)4月、病状の回復に伴い、病院併設の県立三条養護学校に入学する。 *1963年(昭和38)3月、養護学校中学部を特別進級で卒業する。奇跡的な回復を見せて5年ぶりに退院し、自宅に戻る。同年4月、新潟県立栃尾高等学校に入学、文芸部に所属する。 *1965年(昭和40)3月、腎臓結核が再発し、三条結核病院に再入院する。 *1966年(昭和41)、劇症肝炎を併発し、3月11日に永眠する。21歳の若さだった。 *宰の没後、栃尾高校文芸部により遺稿詩集「それでも」が発行される。また三条結核病院の有志ほかにより、遺稿詩集「光る砂漠」が自費出版される。 *母のレウが、この2編を毎日新聞「母と子のうた」の担当者である周郷博に送ったことがきっかけで、宰の詩が同欄に掲載されて大きな反響を呼ぶ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢沢宰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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