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矢田 喜美雄(やだ きみお、1913年(大正2年)〔矢田喜美雄氏(朝日新聞) - マスコミ関連・全研究下山事件 〕 - 1990年(平成2年)〔)は、日本の元陸上競技選手およびジャーナリスト。朝日新聞社で社会部記者として活動した。 ==人物== 山梨県八代郡に生まれる〔。早稲田大学高等師範部に在学中、日本選手団の一員としてベルリンオリンピックに参加し、走高跳で5位に入賞する〔第9回「南極の歴史」講話会 - 矢田喜美雄氏とその時代 〕。1936年(昭和11年)の第23回日本選手権・三段跳で優勝した〔過去の優勝者・記録 男子三段跳 日本陸上競技連盟. 2013年9月2日閲覧〕。また1933年(昭和8年)の関東学生陸上・走高跳で1m98の日本新記録を樹立した。 高等師範部を卒業後、早稲田大学文学部史学科に進み、同時に山梨県で小学校教師となるが〔、1938年(昭和13年)に軍隊に入ったという情報もある〔。 1942年(昭和17年)に、朝日新聞社に入社し、社会部記者として活躍する〔。1948年(昭和23年)7月5日に起きた下山事件の取材と報道では、被害者の下山定則国鉄総裁は死後轢断されたとして他殺説を唱え、注目を集めた。また、南極観測プロジェクトの構想を強く主張し〔〔、1955年の日本の南極観測参加決定に貢献した〔。その他、1964年に実現した日本での「ミロのビーナス」展の実現にも貢献している〔。なお、朝日新聞社在職時代は、「朝日新聞に一番、金を使わせた男」として社内で有名であった〔。 朝日新聞社退職後、『謀殺・下山事件』を講談社より出版する。なお、これを原作として『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』が、1981年(昭和56年)に松竹より映画化された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢田喜美雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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