翻訳と辞書
Words near each other
・ 矢田村 (大阪府)
・ 矢田村 (奈良県)
・ 矢田橋梁
・ 矢田次夫
・ 矢田津世子
・ 矢田清巳
・ 矢田瞳
・ 矢田稔
・ 矢田立郎
・ 矢田線
矢田績
・ 矢田義清
・ 矢田耕司
・ 矢田藩
・ 矢田部ゆか
・ 矢田部・ギルフォード
・ 矢田部・ギルフォード性格検査
・ 矢田部厚彦
・ 矢田部尚今
・ 矢田部村


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

矢田績 : ミニ英和和英辞書
矢田績[やだ せき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [や]
 【名詞】 1. arrow 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

矢田績 : ウィキペディア日本語版
矢田績[やだ せき]

矢田 績(やだ せき、万延元年8月9日1860年9月23日) - 昭和15年(1940年3月25日)は、日本実業家
== 人物 ==
万延元年(1860年8月9日紀州徳川家の老職にあった医師谷井清雄の次男として出生する。1878年明治11年)、新宮の旧藩老矢田七郎右衛門絶家を相続し、矢田績となる。
1880年(明治13年)、慶應義塾を卒業すると、時事新報記者として就職。1884年(明治17年)、神戸又新日報主筆として迎えられる。同紙に掲載された「勧業課長論」により、当時の兵庫県令内海忠勝に取り立てられ、同県勧業課長となる。さらに、1887年(明治20年)には、中上川彦次郎山陽鉄道の運輸課長となった。その後、三井銀行専務理事となった中上川に従って、同行秘書課長となる。同行において、深川支店長・京都支店長・横浜支店長を歴任したのち、1905年(明治38年)5月、同行名古屋支店長となる。同支店においては、福沢桃介の名古屋進出に際しての資金調達に協力するなどしている。1915年大正4年)、同行監査役となったが、翌年團琢磨により、東神倉庫(現三井倉庫)常務となる。
1921年(大正10年)に離職すると、翌年春に名古屋に居を移した。矢田は日本の中心商工都市としての名古屋の成長を手伝いたいとの思いにより、名古屋を永住の地として選んだという。その実現のために公衆図書館の設立を志し、1925年(大正14年)4月19日に財団法人名古屋公衆図書館として開館させた。
晩年の1939年昭和14年)には、名古屋公衆図書館を名古屋市に寄付した。同年12月24日に病に倒れ、名古屋帝國大学医学部附属病院(現名古屋大学医学部付属病院)に入院したが、翌年3月25日喉頭癌により亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「矢田績」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.