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矢留石金作 : ミニ英和和英辞書
矢留石金作[や]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [や]
 【名詞】 1. arrow 
: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 

矢留石金作 ( リダイレクト:大蛇潟金作 ) : ウィキペディア日本語版
大蛇潟金作[おろちがた きんさく]

大蛇潟 金作(おろちがた きんさく、1919年5月20日 - 1986年3月21日)は、秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身で、錦島部屋に所属していた大相撲力士である。本名は斎藤 金作(さいとう きんさく)。最高位は西前頭筆頭(1954年1月場所)。現役時代の体格は179cm、120kg。得意手は左四つ、寄り。引退後は、一時期年寄として日本相撲協会に在籍していた。
== 来歴 ==
17歳の時に上京して錦島部屋へ入門し、1937年1月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口に付いた時の四股名は、「十文字」。
間も無く、「矢留石(やとめいし)」に四股名を改め、1944年1月場所にて十両昇進を果たした。その後一時期幕下に陥落したものの、1947年6月場所で十両に復帰した際に錦島部屋ゆかりの「大蛇潟」と改名してからは上昇気流に乗り、1948年5月場所に於いて新入幕を果たした。入門も遅かったこともあり、すでに29歳となっていた。相撲振りも、左四つからの寄りを得意としたが、やや攻めが遅い取り口であったこともゆっくりした昇進と関係したかもしれない。
新入幕の場所では終盤まで優勝争いに加わり、9勝2敗と好成績を収め、敢闘賞を受賞した。翌1948年10月場所では膝を痛めて途中休場し、それが最後まで影響して三役昇進は叶わなかった。それでも1954年1月場所では最高位となった西前頭筆頭まで番付を上げ、この場所では3勝12敗と大きく負け越したものの、翌3月場所では10日目に横綱鏡里を巻き落としで破って生涯唯一の金星を獲得した。この時、すでに35歳となっていた。
その後もまじめな土俵態度を続け、1957年9月場所、十両に陥落したところで休場、翌11月場所限りで引退した。38歳まで現役を務めた、長持ち力士であった。
性格は礼儀正しく温厚であり、付け人が財布から2万円を抜き取った時も怒らずさらに余分な金を与えたので、その付け人が泣いて更生を誓ったというエピソードもある。
引退後は、年寄・から同・北陣を襲名した。しかし、まもなく廃業し、以後は旅館を経営していた。
1986年3月21日、肝臓癌のため東京都千代田区内の病院で逝去。享年66。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大蛇潟金作」の詳細全文を読む




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