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矢追秀彦 : ミニ英和和英辞書
矢追秀彦[やおい ひでひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [や]
 【名詞】 1. arrow 

矢追秀彦 : ウィキペディア日本語版
矢追秀彦[やおい ひでひこ]

矢追 秀彦(やおい ひでひこ、1933年12月8日 - 2009年12月12日)は、日本政治家兵庫県出身。大阪大学歯学部卒業。参議院議員(3期)。衆議院議員(3期)。
== 経歴 ==
1933年12月8日、兵庫県に生まれる。
1952年大阪府立池田高等学校卒業。1958年、大阪大学歯学部を卒業する。
1965年7月4日第7回参議院議員通常選挙に、全国区から公明党公認候補として立候補し、初当選する。(以降、参議院議員3期、衆議院議員3期)。
1980年6月22日第12回参議院議員通常選挙に、公明党公認立候補として立候補し、当選する。公明党参議院国会対策委員長に就任する。
1982年公職選挙法改正法案(地方区・全国区を廃止し、都道府県選挙区・比例代表区制への移行)の際、民社党と共に、自民党と応戦する。
1983年12月18日第37回衆議院議員総選挙に、大阪6区から北側義一の後継で公明党公認候補として立候補し、当選する。衆議院議員に転じた。
1986年12月、公明党大会において、公明党副書記長に就任する。
1993年7月、第40回衆議院議員総選挙に立候補せず、選挙地盤佐藤茂樹に譲り、政界を引退する。
1994年公明党副委員長に就任する。
1994年12月5日、公明党の解散にともない、公明の結成に参加する。
2009年12月12日、心不全のため死去。
* 四大公害病のひとつ、イタイイタイ病について、国会の場で初めて言及したのは矢追である(1967年)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「矢追秀彦」の詳細全文を読む




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