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矢部 家定(やべ いえさだ)は、戦国時代の武将。 == 生涯 == === 信長側近として === 出身は尾張とも伊勢とも言われる。織田信長に仕え、長谷川秀一と共に若年より諸事に用いられた〔『武家事紀』。従って織田家中でも初出の時点から比較的若い層の家臣であったと思われる。〕。 初見は元亀元年(1570年)、姉川の戦いに勝利した信長が若狭に進出した同年11月に若狭の国人本郷泰茂の織田家への降伏を家定が仲介したところに始まる〔『福井県史』など〕。 初期の頃は信長側近として主に京洛で政務にあたっていた。元亀3年(1572年)10月7日、妙心寺寺領の安堵を奉行の島田秀満・村井貞勝と室町幕府御供衆上野秀政に報告〔『妙心寺文書』〕。天正2年(1574年)4月9日、信長の松尾大社への書状に副状を発給する〔『東文書』〕などの働きが見える。 また、早くもこの頃から側近として地方の家臣に対する命令権を持ち得ていたようで、天正3年(1575年)10月28日には尾張津島の宿老たちに蓮台寺から年貢を徴収しないように命じている〔『張州雑志』〕。政務の他にも天正元年(1573年)11月23日の妙心寺茶会などの行事に堀秀政らと共に信長に近侍して出席したりなどしている〔『宗及自會記』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢部家定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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