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矢部 次郎(やべ じろう、1978年5月26日 - )は、奈良県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。2013年より奈良クラブの監督を務める。 == 経歴 == === プロ入り前 === 名古屋市で4人兄弟の末弟として生まれる〔朝日新聞、2012年2月27日付朝刊、奈良地方面、P.35〕。父親の仕事のためで4歳で岡山市に、小学校1年生の時に奈良市に転居した〔。8歳上の兄がプレーしていたことと『キャプテン翼』の影響があり、小学校に入るとサッカーに魅かれて3年生の時に地元の少年団・二名FCに入団した〔〔朝日新聞、2012年2月26日付朝刊、奈良地方面、P.34〕。週3回の練習では物足りず、毎日1時間は家の前で練習していたという〔。2歳上に藤井健太、2歳下には林丈統がいるなど二名FCではチームメートに恵まれていた〔。二名中学に進んでサッカー部に入部し、3年生の時には県大会で優勝して県選抜にも選ばれている〔。 全国大会出場を目指し、県内の強豪である奈良育英高校に進学した〔。同期には中谷勇介、東幸一がいた。2学年上の楢崎正剛らの技術力の高さに衝撃を受けたという〔朝日新聞、2012年2月28日付朝刊、奈良地方面、P.30〕。1年生の時、チームは選手権大会でベスト4まで進出したが、登録メンバーには入れなかった。2年生になると70名を超える部員の中でレギュラーとして出場する機会が増えたが、自転車登校中に乗用車と衝突し、右足の靱帯を損傷して全治半年の重傷を負った〔。筋力トレーニングなどを重ねて11月頃には回復して試合の終盤から出場するようになったが、選手権大会の県予選でPK戦のキッカーを任されて失敗し、チームも敗れた〔朝日新聞、2012年2月29日付朝刊、奈良地方面、P.34〕。 3年生の夏に初めて名古屋グランパスエイトの練習キャンプに参加し、以降も練習などに参加してドラガン・ストイコビッチや小倉隆史らのプレーに触れた事で、プロに進みたいと明確に思い始めた〔朝日新聞、2012年3月2日付朝刊、奈良地方面、P.31〕。11月にサッカー部監督の上間政彦を通じてグランパスから入団のオファーを受けたが、父親からは進学して教員免許を取るよう勧められて進路を悩んだ〔。上間から「自分の進路は自分で決めろ」と言われたのがきっかけでプロ入りを決断したという〔朝日新聞、2012年3月3日付朝刊、奈良地方面、P.31〕。同年は自身初の選手権大会に出場し、初戦の2回戦は勝利したがベスト16で大島秀夫らを擁する前橋育英と対戦し、PK戦で敗れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢部次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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