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矢野 五右衛門(やの ごえもん)は、戦国時代の武将・豪族。関ヶ原の戦いで敗れて逃走した宇喜多秀家を匿った人物として知られる〔『宇喜多秀家と矢野家』- 小川治、揖斐町著〕。諱は重昌(しげまさ)。五右衛門は通称。 == 概要 == 重昌は美濃国加茂郡白樫村の出身で、約250石の領地を持つ郷士であった〔。関ヶ原の戦い直後には落ち武者狩りの指揮官として山中を捜索していた〔。その時に重昌は供回り数名で逃走していた宇喜多秀家に出くわし〔『岡山市連合町内会会報 第14号 』16頁〕、重昌はその容姿から敗走中の敵将に違いないと考えて槍を向けて近づいたが秀家は名乗ることも助命を請うこともせずに家臣と重昌が数回問答をした後に重昌はこの落武者が秀家である事を確認した〔。重昌はこの潔のよい秀家の態度に感服し、約40日もの間秀家を自宅に匿った〔。また、この潜伏期間中に秀家は次の二首の詩歌を詠んだ。 『''武も運も 皆つき果てし 美濃の国 かかる浮世と 如何で志ら樫''』〔 『''山の端の 月の昔に変わらねど 我が身のほどは 面影もなし''』〔 重昌は秀家を逃せるよう情報を収集し、遂に秀家の正室・豪姫が前田氏に引き取られるとの報を聞きつけた〔。重昌とその妻は秀家を重病人に変装させ、数多くの関所を超えて大阪の前田屋敷に到着し、秀家はここでやっと妻と再会することが出来た〔。この礼として、秀家は重昌にかつて自分が豊臣秀吉から賜った朱印状と、黄金30枚を重昌に与えた〔。重昌は無事帰郷し、子孫は代々続き現在に至っている〔。その後秀家は島津氏を頼るが、徳川方に引き渡される。しかし島津氏や前田氏の懇願で助命され、八丈島へ流罪となった。その後宇喜多氏は浮田に改姓し、秀家→秀高→秀正→秀親→秀保→秀徳→秀道→秀英→秀邑→秀種→秀監→秀萃→秀一→秀臣と続き現在に至る〔新人物往来社刊『豊臣一族のすべて』〕。 このように、宇喜多氏が現在まで血筋を残せているのは重昌の努力による貢献が大きい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢野五右衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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