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矢野 武男(やの たけお、1900年9月7日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.601.〕〔明潮社, p.100.〕〔映畫世界社, p.99.〕〔''矢野武男''、''jlogos.com'', エア、2013年1月7日閲覧。〕〔''大沢一角''、日本映画データベース、2013年1月7日閲覧。〕〔''矢野武男''、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月7日閲覧。〕〔''矢野武男''、KINENOTE, 2013年1月7日閲覧。〕〔''矢野武男''、日活データベース、日活、2013年1月7日閲覧。〕。本名同じ〔、別表記矢野 武夫、別芸名大澤 一角(おおざわ いっかく、新漢字表記大沢 一角)〔〔''大澤一角''、日活データベース、日活、2013年1月7日閲覧。〕。『國士無双』、『堀田隼人』、『赤西蠣太』等での助演で、片岡千恵蔵プロダクション時代の片岡千恵蔵を支えたことで知られる〔〔〔〔。 == 人物・来歴 == 1900年(明治33年)9月7日、福岡県朝倉郡甘木町(現在の同県朝倉市甘木)に生まれる〔〔〔。生年月日については、『日本映画俳優名鑑』の「昭和五年版」「昭和九年版」では、いずれも「1901年(明治34年)5月9日」と記されている〔〔が、1979年(昭和54年)刊の『日本映画俳優全集・男優編』では「1900年(明治33年)9月7日」であり、2004年(平成16年)刊の『CD - 人物レファレンス事典 日本編』では年号のみの記述で「1900年(明治33年)」生まれとされている〔〔〔。学歴についても、『日本映画俳優名鑑』の「昭和五年版」「昭和九年版」では、いずれも旧制中学校を中途退学したことになっているが〔〔、実際のところは商業学校を卒業し、大阪の三越に勤務していた時期があるようである〔。『日本映画俳優全集・男優編』では、三越勤務の時期を1922年(大正11年)としており、マキノへの入社時期をスクリーンデビューの直前(1925年3月)としている〔。 1921年(大正10年)3月、マキノ省三が代表を務めるマキノ映画製作所等持院撮影所に入社〔〔、同年7月の同撮影所の東亜キネマ吸収合併の際にも同撮影所に残り、1925年(大正14年)5月8日に公開された、月形龍之介主演、衣笠貞之助監督の『心中宵待草』で、町人役の端役として出演したのが、スクリーンデビュー作であるとされる〔〔〔。同年6月、マキノ・プロダクションが東亜キネマから独立した際には、マキノ一派に同行して御室撮影所に移籍、同年製作の金森万象監督による『何処へ帰る』では主演を果たした〔〔〔〔。7年間、同社で下積みの苦労をしたが、1928年(昭和3年)、同社を退社して日本映画プロダクション連盟に参加して〔〔、片岡千恵蔵が主宰する片岡千恵蔵プロダクション製作の映画に出演し〔、続いて月形陽候こと月形龍之介が主宰するツキガタプロダクションに移籍、1929年(昭和4年)1月5日に公開された悪麗之助監督の『やくざ者』に出演した〔。同年、片岡千恵蔵プロダクションに改めて入社した〔〔〔。同年末から翌1930年(昭和5年)にかけてのごく一時期、「大澤 一角」と名乗った〔〔。 片岡千恵蔵プロダクションは、1937年(昭和12年)7月1日に公開された衣笠十四三監督の『松五郎乱れ星』を最後に解散、日活にプロダクションごと吸収されており、矢野も、片岡千恵蔵ともども日活京都撮影所に移籍している〔〔。『日本映画俳優全集・男優編』には「片岡千恵蔵をはじめほとんどのメンバーが日活へ入社したのに、矢野はひとり新興キネマ京都撮影所へ入社」〔とあるが、日活公式サイトによる「日活データベース」によれば、同年には矢野の日活京都撮影所での出演歴があり〔、新興キネマに移籍したのは、同年暮れから翌1938年(昭和13年)にかけての時期である〔。『日本映画俳優名鑑』の「昭和九年版」によれば身長5尺3寸、つまり約160センチメートル〔。 1942年(昭和17年)1月27日、新興キネマは、戦時統制で日活の製作部門等と合併して大映を形成、矢野は継続入社し、新興キネマ京都撮影所(現在の東映京都撮影所)は間もなく閉鎖され、日活京都撮影所改め大映京都撮影所に所属した〔。第二次世界大戦の終結後も同撮影所に所属したようだが、端役が多く、クレジットに残るものは少ない〔〔〔。満54歳を迎える1954年(昭和29年)に公開された、『投げ唄左門一番手柄 死美人屋敷』、『近松物語』を最後に出演記録が途絶えている〔〔〔。以降の消息は不明である。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢野武男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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