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矢野 英司(やの えいじ、1976年6月15日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 横浜高校時代は3度甲子園に出場。同期の選手に多村仁志、紀田彰一、斉藤宜之などがいる。 法政大学では入学早々リリーフエースとして活躍。チームの全日本大学野球選手権大会7回目の優勝に貢献した。東京六大学リーグ通算22勝、防御率1位1回、ベストナイン1回を記録。また、4年春の東京六大学リーグ戦では、このリーグ所属の選手としては初めて神宮球場のスピードガンで150km/hを計測した(スコアボードに表示されたもの)。1998年度のドラフト会議にてドラフト2巡目指名(逆指名)で横浜ベイスターズに入団。 1年目の開幕前は上原浩治らと共に新人王の有力候補に名前が挙げられていた。開幕後は先発・中継ぎで30試合に登板したが、防御率6.16と振るわず、また怪我により離脱もあり、即戦力としての期待を裏切ることとなった。2年目は谷間の先発で好投していたが、右肘靭帯の断裂で5月に登録抹消、9月に手術を受ける。以後は故障に泣かされ続け、2001年から2003年の3年間は一軍登板なしに終わった。 2004年、門倉健・宇高伸次との交換トレードで福盛和男と共に大阪近鉄バファローズへ移籍。4年ぶりに一軍登板を果たすが、結果は残せなかった。 2005年に分配ドラフトを経て東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。楽天では主に先発で使われたが、結果を出せず5試合の登板に終わる。2006年は一軍登板がなく、球団から戦力外通告を受けた。 2007年、アメリカ独立リーグであるノーザンリーグのシャンバーグ・フライヤーズに入団するも、8試合で1勝2敗の防御率11.92(11.1イニング)と結果が出ず途中で解雇された。その後カナディアン・アメリカン・リーグのナシュア・プライドへ移籍。14試合で2勝2敗の防御率5.72(50.1イニング)と奮わず2008年8月にナシュアを退団。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢野英司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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