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知礼(ちれい、960年 - 1028年)は中国・北宋代の天台宗山家派の僧である。四明智礼(しめい ちれい)と呼ばれ、四明尊者、四明大法師とも尊称される。天台宗の第14祖に擬せられている。 == 生涯 == 俗姓は金氏、四明県(浙江省寧波市)の出身である。字は約言、法智大師と諡された。 7歳の時に出家し、20歳で義通に入門して天台教学を修学した。最初は乾符寺に住し、その後、四明の延慶寺(保恩院)に変わった。講述を専らにして、山外派に属する智円や慶昭らと、その宗学や法系上の相違により対立し、盛んに宗学上の論争を繰り広げた。結果的に、分裂し混乱の極みにあった天台宗門の正灯を保持し、中興と称された。 その門下からは、尚賢や本如、梵臻らの僧が出て、各々が一派をなした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「知礼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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