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『短夜物語』(みじかよものがたり)は、1920年(大正9年)製作・公開、細山喜代松監督の日本のサイレント映画である。国際活映角筈撮影所の第1回作品である。 == 略歴・概要 == 1919年(大正8年)12月6日、国際活映株式会社が設立され、同社の常務取締役に就任した小林喜三郎は、翌年1月に自らが設立した天活(天然色活動写真)を買収、松竹蒲田撮影所から井上正夫、日活向島撮影所から桝本清を引き抜き、東京府南豊島郡淀橋町大字角筈字十二社(現在の新宿区西新宿4丁目、京王プラザホテル近辺)に角筈撮影所を建設した〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎、中央公論社、1968年、p.292-293.〕。桝本は同撮影所の所長および撮影課長(現在の製作部長にあたる)に就任し、かつて向島時代の同僚であった細山喜代松を監督係のメンバーとして入社させた〔。同年4月には、設立第1作の製作にとりかかる〔。 細山喜代松は、同じ設立メンバーのひとり、野村愛正の脚本を得、新劇の文芸協会出身の女優で、同じく設立メンバーに加わった林千歳〔林千歳 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2009年11月29日閲覧。〕を主役に起用、本作を監督した〔。共演に名を連ねる高勢実は後の喜劇役者・高勢実乗であるが、当時は喜劇的要素はまったくない性格俳優であった〔。角筈撮影所は新劇の流れを汲む現代劇の撮影所、従来天活が稼働していた巣鴨撮影所は時代劇の撮影所となった。 本作は、同年7月1日、同年5月に株式会社武蔵野館(現在の武蔵野興業)が、角筈の甲州街道沿いにオープンしたばかりの新宿武蔵野館(1928年12月、現在の場所に移転)で公開された〔。当時の角筈の地はまったくの郡部であり、東京市の住宅地から郊外の農村地帯へ、現在のバキュームカーの役割を果たす牛車が列をなしていた時代の話である〔。「いっそ小田急で逃げましょか」が流行語となるほど新宿駅近辺が発展するのは、同フレーズが歌詞に登場する1929年(昭和4年)5月31日公開の『東京行進曲』前後であり、10年早い時代であった。 本作のフィルムプリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターは所蔵していない〔所蔵映画フィルム検索システム での検索結果、東京国立近代美術館フィルムセンター、2009年11月29日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「短夜物語」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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