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石丸三七郎 : ミニ英和和英辞書
石丸三七郎[いしまる さんしちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 
: [み]
  1. (num) three 
: [しち]
  1. (num) seven 

石丸三七郎 : ウィキペディア日本語版
石丸三七郎[いしまる さんしちろう]
石丸 三七郎(いしまる さんしちろう、嘉永3年(1850年) - 没年不明)は、幕末期の鴨方藩士、明治期の陸軍省の官吏。測量技師や写真電気銅版法の書物を記している。
== 生涯 ==
岡山藩の支藩である鴨方藩士・佐野貞蔵(知行100~140石、物頭格)の三男として岡山城下に生まれ、長じて石丸家の養子となり、石丸家(350石)の家督を相続し11代目となった。慶応3年(1867年)年12月9日に、18歳で三七郎は藩主命により討幕派の拠点京都に派遣され、京都御所の側の「清和院御門」の警固に付く。藩の部隊の中で出世し、歩兵教授兼歩士銃隊長試補となる。戊辰戦争終了と共に兵部省は三七郎と香河義郎横浜兵学校での仏学伝習を命じ、維新の功により「三級上座(500石)」となった。
明治3年(1870年)11月27日に横浜港をフランス船のヴォルガ号で出航し、翌年1月18日にマルセイユに到着。岩倉使節団山田顕義らと撮った写真が残っている(『小坂千尋小傳』)。その後、明治5年(1872年)の秋頃にニースの政府学校で測量技術や築城学を学んだ。帰国後は武官ではなく、陸軍省七等出仕として測量技術の道を歩む。『慶應義塾入社帳第一巻231項』に名前が確認出来ることから、戊辰戦争前後か、帰国直後に慶應義塾に入ったものとみられる。明治9年(1876年)から明治19年まで陸軍士官学校陸軍大学校の教官を務め、明治18年(1885年)4月には製版法調査委員として写真電気銅版法を採用し、写景法(透視図法)の本を出版。明治19年(1886年)に陸軍五等技師奏任官五等(高等官)となり明治28年(1895年)まで任に当たった。退官後の消息については分かっていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石丸三七郎」の詳細全文を読む




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