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石丸藤吉 : ミニ英和和英辞書
石丸藤吉[いしまる とうきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

石丸藤吉 : ウィキペディア日本語版
石丸藤吉[いしまる とうきち]

石丸 藤吉(いしまる とうきち、1914年7月25日 - 1991年11月21日)は、佐賀県佐賀市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、45ページ〕出身のプロ野球選手内野手)。
実弟は同じくプロ野球選手の石丸進一〔。また、孫に米マイナーリーグ投手として活躍した石丸泰輔(元・親和交通株式会社取締役副社長)がいる。
== 来歴・人物 ==
佐賀商業門司鉄道局を経て1937年(昭和12年)、名古屋軍に入団〔。プロ野球に入った理由は、父親が子供の教育資金の調達や株の失敗で膨らんだ借金を返済するためであったという。(後に、弟の進一も同じ理由で名古屋軍に入団し、兄弟二人で借金を完済している。石丸進一の項を参照。)その年の春のシーズンで、打率.276を記録して打撃十傑の9位に入り、主に二塁手として活躍した。だが、1938年(昭和13年)の春のシーズンが終わると同時に召集されて中国戦線に向かい、一旦は退団することとなった。しかし、1941年(昭和16年)に再び名古屋軍に復帰。この年、名古屋軍に入団した弟の進一と共に3年間プレーすることになる。
戦後は1951年(昭和26年)に松竹に助監督兼任として1年だけ現役に復帰〔。
現役引退後はロビンス交通(松竹ロビンスオーナーの田村駒治郎が引退後の選手の生活のために設立したタクシー会社)専務を経て、1953年(昭和28年)、自らタクシー会社の親和交通株式会社(現:親切タクシー)を設立し、社長に就任した〔。
1991年平成3年)11月21日死去。享年77。
かつて同じ名古屋軍に在籍していた小鶴誠によれば、普段は弟の進一とは仲が良かったという。だが、弟がプロ1年目の時はよく二遊間を組んでいたものの、あまり息が合わなかったがために試合中ではよく喧嘩をしていたと言っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石丸藤吉」の詳細全文を読む




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