|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 石 : [こく, いし] 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) ・ 井 : [い] 【名詞】 1. well ・ 一 : [いち] 1. (num) one
石井 一太郎(いしい いちたろう、1982年6月14日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都港区出身。前OPBF東洋太平洋ライト級王者、元日本同級王者。現役時代は横浜光ボクシングジム所属で現在は同ジム会長。明治大学付属明治中学校・高等学校、明治大学卒業。 == 来歴 == 高校までは野球をしていたが、大学でボクシングを始める。 2001年9月29日、プロデビュー戦をスーパーフェザー級で行い1RKO勝利を収めた。 2002年11月9日、5勝1引分の成績で東日本スーパーフェザー級新人王決定戦を熊野和義と行うも、6R判定で敗れ初の黒星を喫す。この試合後ライト級に階級を上げる。 2007年4月21日、その後12連勝(8KO・2TKO)で日本ライト級1位にランクされ、王者長嶋建吾に挑戦するが、10R判定で敗れ戴冠ならず。 2008年3月15日、1戦1勝の後長嶋が世界挑戦のため返上し空位の日本ライト級王座決定戦を中森宏と行い、2RKO勝ちを収め戴冠。2006年11月のタイ修業で石井を指導したウィラポン・ナコンルアンプロモーションも試合終了とともにリングインし、祝福した〔石井、自慢の強打でTKO王座奪取…日本ライト級王座戦 スポーツ報知 2008年3月16日閲覧〕。 だが、2008年6月6日に初代会長関光徳が逝去。その1ヵ月後となる7月6日、初防衛戦を川瀬昭二と行い、3Rには川瀬、4Rには石井が流血する激しい試合となったが3-0の判定で防衛に成功。 2008年12月20日、OPBF東洋太平洋ライト級王者ランディ・スイコに挑戦。6Rには鼻から大量に出血するなどの苦しい展開となったが、10R2-1の判定勝ちで王座を獲得した。 2009年1月16日、OPBF東洋太平洋王座を防衛することなく返上。 2009年4月4日、チャンピオンカーニバルで日本ライト級王座の2度目の防衛戦を三垣龍次と行い、タオル投入による9RTKOで王座を失った。5月26日、自身のブログで現役引退を表明。その後、横浜光ジムでトレーナーを務めている。7月4日、後楽園ホールで引退式が行われた。 2011年、宮川和則前会長の死去に伴い会長代行となり、年明けになって正式に会長に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井一太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|