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石井亮一 : ミニ英和和英辞書
石井亮一[いしい りょういち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [いち]
  1. (num) one 

石井亮一 : ウィキペディア日本語版
石井亮一[いしい りょういち]

石井 亮一(いしい りょういち、慶応3年5月25日1867年6月27日) - 昭和12年(1937年6月14日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての心理学者・教育学者・社会事業家。
日本における知的障害者福祉教育の創始者であり、社会福祉法人滝乃川学園公益財団法人日本知的障害者福祉協会の創設者である。日本の「知的障害者教育・福祉の父」と呼ばれ、日本のみならず世界的に有名である。
夫人は同じく近代女子教育の先駆者の一人であり、亮一同様、「知的障害者教育・福祉の母」と呼ばれる石井筆子。石井の業績は、日本における知的障害者福祉・教育の嚆矢として現代に至るまで極めて高い評価を受けている。
== 経歴 ==

===生い立ち===
石井亮一は、1867年慶応3年)、現在の佐賀県佐賀市水ヶ江において誕生した。父は佐賀藩士石井忠泰、母は馨子で、その六男であった。生家の石井家は、佐賀藩主鍋島家の藩祖以来の外戚家門の家柄で、亮一の祖父石井忠驍は、第9代藩主鍋島斉直のもとで家老職をつとめており、父の忠泰も上士であった。亮一の幼少時、一家は役宅として佐賀城内に屋敷を与えられ、そこに住んでいた。
亮一は幼少時より、秀才と評判の少年であったが、体が丈夫ではなかったため、父の意向で藩主の侍医をつとめた大須賀家の養子となり、しばらくは大須賀姓を名乗っていた。その後、佐賀県立佐賀中学校に進み、在学中、旧藩主鍋島家の奨学生に選ばれ、科学者になるべく工部大学校(現・東京大学工学部)を受験した。しかし、身体検査で不合格になる。科学者への夢を諦められない亮一は、コロンビア大学留学へと志望を変更して、英語習得のために、立教大学に入学した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石井亮一」の詳細全文を読む




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