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石井好博(いしい よしひろ、1950年 - )は、日本の高校野球の指導者。元習志野市立習志野高等学校野球部監督。 ==人物== 1950年(昭和25)、千葉県安房郡千倉町(現 南房総市)に生まれる。1965年(昭和40)4月、習志野市立習志野高等学校に入学、野球部に入部。2年生からエースとなり、1966年(昭和41)夏の甲子園県予選では準決勝に進出するが、千葉工商の中山孝一投手に抑えられ敗退。翌1967年(昭和42)は東関東大会決勝で竜ヶ崎一を破り、夏の甲子園に出場。市原弘道監督の下、決勝で広陵の宇根洋介投手(近大-電電中国)に投げ勝ち、千葉県勢初のチーム全国優勝に導く。高校同期に醍醐恒男捕手、池田和雄外野手(慶大-日本石油)がいる。 1968年4月、早稲田大学に入学、体育会硬式野球部に入部するが肩を壊し高校野球の指導者を目指す。大学同期に丸山朗投手(大昭和製紙)らがいる。1972年3月、早稲田大学卒業。1972年(昭和47)4月、習志野高校に赴任、母校の野球部監督に就任する。1975年(昭和50)には夏の甲子園にエース小川淳司(元 東京ヤクルトスワローズ監督)らを率いて出場。決勝で新居浜商に9回裏サヨナラ勝ち、全国優勝を果たす。 2013年8月、千葉県にある東葉高等学校硬式野球部監督に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井好博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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