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石井 忠國(いしい ただくに)は、室町時代中期の武将。肥前国主千葉家の重臣。肥前石井氏の事実上の家祖とされる。 == 生涯 == 生没年は判明していないが、記録によると、永享元年(1429年)から寛正6年(1465年)頃に活躍していたものと考えられる。 下総国にて千田氏の一族石井忠家の嫡男として誕生。曾祖母が「千葉介の娘」とされており、千葉宗胤の娘ではないかと考えられている。しかし、千田家が衰退し、父忠家が京都において戦死したため、下総国を退去し、親族である肥前国小城郡晴気城主千葉胤紹を頼って西下した。 胤紹に仕えた忠國はその副将に抜擢され、肥前国佐嘉郡与賀庄飯盛村を与えられた。永享元年(1429年)には、京都より本立院日字上人を開山に招聘し、知行地に菩提寺本善寺(現在の常照院)を開基した。その後、胤紹の甥の教胤の重臣として活躍した。 正室は大宰府安楽寺別当小鳥居信光の娘。嫡男忠保は晴気城下の屋敷から知行地に居館(飯盛館)を移転している。 佐賀藩祖鍋島直茂の正室で、初代藩主勝茂の生母となった陽泰院は6世の孫にあたる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井忠國」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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