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石井忠驍 : ミニ英和和英辞書
石井忠驍[いしい ただたけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [い]
 【名詞】 1. well 

石井忠驍 : ウィキペディア日本語版
石井忠驍[いしい ただたけ]

石井 忠驍(いしい ただたけ、? - 天保3年5月7日1832年6月5日))は、肥前国佐賀藩の家老。佐賀藩主鍋島家の外戚家門石井家(駿河守家)の出で、石井又右衛門家第8代当主。通称は又右衛門。日本の知的障害者教育・福祉の創始者で、社会福祉法人滝乃川学園創立者石井亮一の祖父。
== 生涯 ==
佐賀藩士石井忠英の三男として生まれる。母は佐賀藩士石井忠郷の娘。佐賀藩第9代藩主鍋島斉直に仕えて、その信任厚く、着座に累進。藩主世子貞丸君(後の第10代藩主鍋島直正)の養育を任され、御側頭人に任ぜられる。その後家老格となり、大御目付役、佐賀城三の丸城代、町奉行、寺社奉行、長崎御仕組方相談役、御年寄役等の重職を歴任した。
鍋島斉直は、忠驍をことのほか気に入り、つねに側役に任じ、交際は公私にわたった。あるとき、忠驍が妻(空閑広高の娘)を喪ったことを心配し、斉直の信任が厚い、大奥の女官長であった袖島(佐賀藩武術師範役の河内源右衛門の妹)を忠驍の後添いにと、仲人役を買って出るほどであった。
晩年は、酒乱および赤札事件への関わりが問われ、蟄居となる。天保13年(1832年)5月7日病死。墓所は佐賀県佐賀市本庄町の常照院にある。家督は次男の忠方(第9代)が継いだが、間もなく死去したため、袖島との間に生まれた三男忠泰(第10代)が継いで、明治維新まで続いた。
なお、忠泰の六男が、日本の知的障害者教育・福祉の父と賞される亮一である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石井忠驍」の詳細全文を読む




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