翻訳と辞書
Words near each other
・ 石井忠清
・ 石井忠繁
・ 石井忠躬
・ 石井忠驍
・ 石井恭二
・ 石井恭史
・ 石井悌
・ 石井愃一
・ 石井慎二
・ 石井慧
石井慧介
・ 石井才治郎
・ 石井揮之
・ 石井政一
・ 石井政之
・ 石井政雄
・ 石井敏夫
・ 石井敏弘
・ 石井敏郎
・ 石井教義


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

石井慧介 : ミニ英和和英辞書
石井慧介[いしい けいすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [かい]
  1. (n,vs) shell 2. shellfish 3. being in between 4. mediation 5. concerning oneself with

石井慧介 : ウィキペディア日本語版
石井慧介[いしい けいすけ]

石井 慧介(いしい けいすけ、1985年2月6日 - )は、日本プロレスラー埼玉県入間市出身。血液型はO型。DDTプロレスリング所属。
== 経歴 ==
2007年1月28日に大田区大森のゴールドジムで開催された武藤塾番外編で行われた全日本プロレスの公開新入団テストで大谷将司大場啓一と共に合格した。
; 2008年
* 3月29日、DDT新木場オールナイト大会のエキシビジョンマッチ・対柿本大地戦で練習生としてプレデビュー。
* 7月6日の後楽園ホール大会・対柿本大地戦で正式にデビュー。その日の興行はチャンピオンカーニバルとして行われたためデビュー戦にして当時柿本が持っていた世界大森級のタイトル挑戦となった。
* 8月5日、闘うビアガーデン2008第2日目・対木高イサミ戦を最後に、負傷のため欠場となる。
; 2009年
* 1月24日、新木場大会の対ヤス・ウラノ戦で鳳慧介(仮)として復帰。以後3ヶ月間、様々なリングネームで試合に出場している(後述)。
* 4月9日、大日本プロレスのD-DASH(DAINICHI-DASH)横浜にぎわい座大会・対佐々木義人戦で初の他団体興行に参戦。敗れはしたものの、自身の成長に繋がった試合だったと振り返っている。
* 4月18日に新木場オールナイト大会の第二部で行われた柔道マッチ準決勝で高木三四郎に勝利し、「人生で何番目かに入るくらい嬉しかった」と述べている。また、決勝で中澤マイケルに敗北した事は「人生で何番目かに入るくらい相当悔しかった」。
* 5月31日、大阪・庄内ローズ文化ホール大会で安部行洋とタッグを組み、ヤス・ウラノ、谷口智一と対戦。この試合でプロ初勝利をあげている。
* 10月25日、後楽園ホール大会で行われた若手リーグ戦のヤングドラマ杯・優勝決定戦において、リーグ戦1位だったササキ&ガッバーナをニール・キックからの片エビ固めで下し、ヤングドラマ杯初優勝。後にその功績を認められ、男色ディーノらのベルトハンターハンターに迎えられる。
* 12月12日、福岡交通センタービル5F森羅万商「博多うぃる」イベント会場で行われた、福岡交通センタービルプロレスにて路上プロレスデビュー。
; 2010年
* 1月3日、後楽園ホール大会で新春かくし芸ランブルで松永智充と漫才を披露。
* 3月14日、後楽園ホール大会・対平田一喜戦で勝利し、第834代アイアンマンヘビーメタル級王座に輝いた。
* 9月8日の新木場大会・ユニット再編バトルロイヤルに参加。DDTを若手の力で盛り上げていきたいという想いから安部行洋を指名、承諾された。
* 9月12日、山梨県道志村・ネイチャーランドオムで行われたキャンプ場プロレスにヨシヒコとタッグを組み出場。
* 9月26日、後楽園ホール大会の「お試しユニット・ガントレットマッチ」で美月凛音高尾蒼馬のホストタッグに対し、安部行洋のランカ・リーと共にシェリル・ノームコスプレをして登場。アニメのコスプレは初めてだったらしく、「思っていたより意外と恥ずかしく感じました」。
* 9月30日、変態團興行のコスプレランブルに惣流・アスカ・ラングレーのコスプレで参戦。
* 10月7日、DDT48総選挙の選挙結果が発表され、石井は146票を獲得して18位にランクイン。後楽園ホール大会への参加権を獲得した。
* 10月8日に新木場1stRINGで行われた新日本プロレスの興行・NEVER.3に出場、高橋広夢にニールキックで勝利。
* 11月28日、ヤングドラマ杯においてリーグ二位で決勝進出するも、同一位の高尾蒼馬に敗れ準優勝に終わった。
; 2011年
* 1月30日、3月6日の自主興行権を賭けたロイヤルランブルに勝利して興行権を獲得、その後自主興行で大森隆男とのシングルが決定する。
* 3月6日、新木場1st.RINGにて行われた自主興行で、『自主興行』『大森隆男とのシングル』『エアマットプロレス』の3つの夢を叶える。
* 4月7日、新木場1st.RINGにて行われた新日本プロレス・NEVER.6 〜ROAD TO THE SUPER Jr. 2DAYS TOURNAMENT〜の予選トーナメントBに出場。本大会は各トーナメントに優勝した2名がBEST OF THE SUPER Jr.XVIIIに出場できる。第一回戦高橋広夢戦にて勝利、準決勝進出。
* 4月8日、NEVER.6予選トーナメントB準決勝、タイチに敗北。予選敗退。
* 5月4日、後楽園ホール大会、鶴見亜門流ロイヤルランブルにて優勝。鶴見GMから「次回後楽園ホール大会にて、当時欠場中のマサ高梨が保持していたアイアンマンヘビーメタル級への挑戦」を優勝賞品として贈ることを発表。「僕も高梨さんの復帰戦の相手をずっとやりたいと思ってたので本当に光栄です。こちらこそ宜しくお願いします。」と言いつつ、首固めで3カウント。第843代アイアンマンヘビーメタル級王者に輝く。
* 5月11日、月刊若手通信5月号 新木場1st.RING大会にて、入場曲をオリジナル曲に変更。
* 6月18日、FIGHTING TV サムライSアリーナ」放送中にて、当時保持していたマサ高梨から勝利。第850代アイアンマンヘビーメタル級王者に。
* 6月19日、後楽園ホール大会、マサ高梨復帰戦にて勝利。第853代アイアンマンヘビーメタル級王者に輝くが、新王者としての抱負を語っている最中にマサ高梨が奪取。同日、後楽園ホール階段にてセクシー・エディーから勝利。第856代アイアンマンヘビーメタル級王者に。
* 10月10日、前王者組の負傷欠場による返上で空位になっていたKO-Dタッグ王者決定戦で入江茂弘と組み男色ディーノ大石真翔組に勝利しタッグ王者となる。
; 2012年
* 3月3日、埼玉県所沢市民体育館にて主催興行「桃色ニールキック! vol.1」を開催。
*8月26日、後楽園ホール大会にて、入江茂弘高尾蒼馬と共に、DDTプロレスリングの序列を変えるため、ユニットを結成。
*9月2日、名古屋大会にてユニット名のチーム・ドリーム・フューチャーズ(略してドリフ)を発表。
*11月23日、ユニオン・新木場1st.RING大会にて王者・石川修司からDDT EXTREME級選手権王座を奪取。試合形式はランバージャック・デスマッチ。第20代DDT EXTREME級選手権王者となる。
*12月23日、後楽園ホール大会にて、挑戦者・ヤス・ウラノから3カウントを奪い、DDT EXTREME級選手権初防衛に成功。試合形式は3WAYマッチ。もう1人の挑戦者は、木高イサミ
; 2013年
*1月12日、大阪大会にて、新設されたKO-D6人タッグ王座トーナメント決勝で、タッグパートナーの入江茂弘彰人から3カウントを奪い、石井&高尾蒼馬&入江茂弘組が初代王者組となる。対戦相手は、高木三四郎&大石真翔&彰人。
*1月14日、ユニオン・新木場1st.RING大会で挑戦者・木高イサミに敗れ、DDT EXTREME級選手権防衛に失敗。試合形式は、通常ルール。
*1月27日、後楽園ホール大会にて、KO-D6人タッグ王座防衛戦を行うも、アントーニオ本多&佐々木大輔&火野裕士モンスターアーミーに敗れ、防衛に失敗。
*9月23日、入江茂弘とともに全日本プロレス初参戦。以降チームドリフとして継続参戦している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石井慧介」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.