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石井 栄三(いしい えいぞう、1907年2月14日 - 1994年1月27日)は、日本の官僚。岡山市今村出身。従三位勲二等旭日重光章。 == 来歴・人物 == 岡山一中、一高、東京帝国大学法学部卒業。1932年内務省に採用される。神奈川県職員見習を振出しに、1936年地方警視、高知県警務課長。福井、静岡、神奈川などの地方勤務を経て、1941年警保局事務官。1943年11月福井県経済部長。1944年8月富山県警察部長。1945年1月には朝鮮総督府警務課長へ出向。敗戦後、終戦処理に当たり、11月15日に郷里岡山に引揚げる。 1946年1月厚生省に出向するも、9月には警保局に戻り、企画課長、警務課長、そして内務省解体直前の人事課長に就任する。 1947年旧警視庁警務部長、1948年6月東京警察管区本部長、1950年8月警察予備隊本部警務局長、さらに人事局長を兼任。1952年1月国家地方警察本部警務部長。1954年8月警察庁次長、1955年7月警察庁長官、1958年8月に辞任。 退官後は1959年9月帝都高速度交通営団監事、1966年全国自動車教習所協会連合会会長を兼任。1983年に退任し、名誉会長に。 1968年から世界政経調査会会長、1969年から交通遺児育英会理事長。さらに、日刊警察新聞社取締役会会長に就任したが、いずれも無報酬に近かった。 著書『私の人生語録』(万暦書房、1985年)では、「警察の仕事を長く担当し、特に最高の地位までやったような人が、それから政界に出られるということは、非常に立場上苦しいというか、慎重に考慮を要するのではないかとさえ思っている。もし政界に進出したいというのであるならば、早く若い時に、その志を立てて、転身を図った方が賢明であり、得策ではないかと思う」と述べている。これは、当選回数が物を言う政界において、20代や30代の若さで国会議員となる二世議員や三世議員が増加したことにより、たとえ警察庁長官まで上り詰めた人間であっても、60歳を過ぎた人間が政界で出世していくことは容易ではないからである。現に、後藤田正晴の成功した姿を見て、警察庁長官や警視総監を務めた元警察官僚の大物が政界にチャレンジしたが、いずれも成功できなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井榮三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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