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石井 研堂(いしいけんどう、本名:民司(たみじ)、1865年8月14日(慶応元年6月23日)- 1943年12月6日)は、日本の編集者、著作家。明治文化研究会の設立に関わり、錦絵の研究など、民間の文化史家として知られた〔〔。 == 経歴 == 陸奥国郡山村(後の福島県郡山市)に生まれ、郡山小学校に学び、更に教員として同校に勤めた後、東京へ移る〔。1889年、雑誌『小国民』(後の『少国民』)を創刊して編集長となり、さらに『実業少年』でも編集長を務めるなど、様々な少年向けの雑誌や、『理科十二ヶ月』や『少年工藝文庫』などシリーズ本の企画、執筆などに関わった。 1908年に『明治事物起源』初版を刊行し、その後長くその増補に取り組んだ〔。1921年、第1次日本浮世絵協会の創設に尽力、理事を務めている。1924年、明治文化研究会の設立に参加し、1927年から1932年にかけて刊行された『明治文化全集』の企画編集を担った。 1941年に石井の喜寿にあたって、尾佐竹猛により『石井研堂先生著作目録』が編集され、また、「石井研堂翁を囲む『小国民』読者の会」が開かれて、尾佐竹や、安倍能成、諸橋轍次、らが出席した〔。 石井の死後の1944年には、『明治事物起源』の改訂増補版が刊行された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井研堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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