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石井 茂吉(いしい もきち、1887年(明治20年)7月21日 - 1963年(昭和38年)4月5日)は、写真植字機の共同発明者。写研の設立者で、石井翁とも呼ばれた。東京都北区堀船町出身。 == 経歴 == 東京帝国大学機械工学科卒業。神戸製鋼で働いていたが、1924年、星製薬に入社。そこで印刷部主任をしていた森澤信夫(のちにモリサワを創業)と出会い、ともに写真植字機の実現を目指すことを誓う。石井の実家は米穀商であったため、その資金力を背景に1926年、石井写真植字機研究所を設立。森澤とは後に方針の違いから決別するが、この研究所が後に写研となり、日本の印刷・出版業界をリードする企業に育っていく。 石井は自分自身で書体のデザインも手がけ、むしろその方面での評価が高い。彼の手になる石井明朝体、石井ゴシック体など数々の石井書体をはじめとして、写研の書体(フォント)の質の高さは彼以来の伝統であり、DTPの怒濤の普及の中で、高価な写研の独自仕様のシステムが戦っていられるのは、組版品質の高さ以上に、外部に開放しなかったその高品位の書体のゆえであるという。 現在、市販されている漫画は大抵、吹き出し部分の台詞が、漢字はゴシック体、平仮名・片仮名はアンチック体(antique=アンティークの意)で組まれている。多くの場合において、このゴシック体が石井ゴシックである。 1951年、大修館書店の鈴木一平より『大漢和辞典』(諸橋轍次 編)を刊行するために使用する文字(写植原字)の製作を依頼された。この大著を印刷するための版が、空襲で失われてしまっていたためである。彼は病気を理由に断るが、最終的に承諾。独力で47500字におよぶ写植原字を3年がかりで書き上げた。文化的にも大きな足跡を残した。この業績に対して1960年、菊池寛賞を贈られている。 他に、東日・大毎印刷賞(1939年)、藍綬褒章(1952年)、科学技術庁長官賞(1961年)、紺綬褒章(1962年)など多くの受賞・受章を受けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井茂吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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