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石原一子 : ミニ英和和英辞書
石原一子[いしはら いちこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [いち]
  1. (num) one 
一子 : [ひとりご]
 【名詞】 1. a child 2. an only child
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

石原一子 : ウィキペディア日本語版
石原一子[いしはら いちこ]
石原 一子(いしはら いちこ、1924年10月22日 - )は日本の実業家。元高島屋常務取締役。東証一部上場企業初の女性重役、経済同友会初の女性会員。婦人関係功労者内閣総理大臣表彰や、経済産業大臣賞、エイボン女性年度賞女性大賞などを受賞。
== 人物 ==
1952年東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、当時は珍しかった男女同一賃金制度をとっていた高島屋に入社。大学では山田雄三ゼミナールに所属〔1986/07/14, 日本経済新聞〕。
二人の子供を育てながら、高島屋に務め、婦人服第2部課長等を経て、1979年には高島屋取締役広報室長に就任〔1987/05/04, 日経流通新聞〕。男性がついてきたポストに女性が就任することに抵抗があったため、新設の広報室長に就任することとなった。1980年エイボン女性年度賞女性大賞受賞。
1981年のダイエーと高島屋の業務提携の際には、ダイエーが高島屋株を取得したとの情報をいちはやく取得。同年、常務取締役に昇格〔1987/04/27, 日本経済新聞〕。また後に同社で女性初の代表取締役となった肥塚見春が退社した際に再雇用制度を創設。2年後に肥塚は制度適用第1号として再雇用された。
55歳から毎朝1時間半英会話の勉強を始め、1986年ハーバード大学ハーバード・ビジネス・スクールAMP修了。同年奥谷禮子らとともに女性初の経済同友会会員となる〔1986/02/06, 日経産業新聞〕。
1986年に夫と死別。飯田新一社長から疎まれ経営の本流から外れ、1987年高島屋を退社。退社時には、「女としては異例の常務にしていただいた」と述べ、感謝の意を表した〔1987/04/27, 日本経済新聞〕。
退社後は、香港の婦人服専門店トピーインターナショナルの日本法人トピージャパンの副社長や〔1995/06/01, 日経流通新聞〕、 ギャップ・ジャパンの特別顧問等を務めた。また財団法人東京女子大学後援財団理事長、財団法人日本女性学習財団評議員、独立行政法人農業環境技術研究所顧問、経済同友クラブ理事等も歴任。清水一行著『女重役』のモデル〔「HOME > 企業・業界 > 高島屋、役員への女性積極登用のワケ〜政府の女性活躍推進策、海外投資家の目も後押し企業・業界企業・業界高島屋、役員への女性積極登用のワケ〜政府の女性活躍推進策、海外投資家の目も後押し」 〕。
1985年日本貿易振興会輸入促進事業協力貢献者・企業に対する感謝状、1987年日本能率協会マーケティング功労賞、2005年経済産業大臣賞受賞。
また国立市に住む市民活動家として、東京海上跡地から大学通りの環境を考える会代表を務め、国立マンション訴訟に関わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石原一子」の詳細全文を読む




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