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石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月11日 - 1977年(昭和52年)11月14日)は、日本の詩人。シベリア抑留の経験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人である。 ==略歴== * 1915年(大正4年)静岡県田方郡土肥村(現伊豆市)に生まれる。 * 1928年(昭和3年)東京目黒の攻玉社中学校入学。 * 1933年(昭和8年)攻玉社中学校卒業。 * 1934年(昭和9年)東京外国語学校ドイツ部貿易科入学。 * 1937年(昭和12年)校友会雑誌『炬火』の編集にあたる。 * 1938年(昭和13年)東京外国語学校卒業、大阪ガスに入社、研究部に勤務。大坂の姫松教会で受洗。 * 1939年(昭和14年)バルト神学者の牧会する日本基督教会信濃町教会に転籍。応召。静岡市歩兵第34連隊に入隊、歩兵中隊に所属。 * 1940年(昭和15年)大阪歩兵連隊の陸軍露語教育隊に派遣。 * 1941年(昭和16年)ハルビンの関東軍情報部に配属。 * 1942年(昭和17年)応集解除。ハルビンの満州電電調査局に徴用。 * 1945年(昭和20年)ソ連対日宣戦布告、終戦。密告によりソ連内務省によってシベリア抑留。 * 1946年(昭和21年)ソ連 カザフ共和国アルマ・アタ第三分所のラーゲリに収監。 * 1949年(昭和24年) *:2月 中央アジア軍管区軍法会議カラガンダ臨時法廷へ引き渡され起訴され、重労働25年の判決で受刑。 *:9月 拘禁車でタイシェットのペレスールカへ。 *:10月 第二シベリア鉄道を北上、沿線密林地帯のコロンナ33に収容され森林伐採に従事。 * 1950年(昭和25年)ハバロフスクのラーゲリに収監。 * 1953年(昭和28年)特赦により帰還。 * 1955年(昭和30年)粕谷栄市らと詩誌『ロシナンテ』を創刊。 * 1956年(昭和31年)結婚 * 1959年(昭和34年)『ロシナンテ』が終刊。 * 1964年(昭和39年)『サンチョ・パンサの帰郷』により第14回H氏賞受賞 * 1966年(昭和41年)H氏賞選考委員となる。 * 1973年(昭和48年)『望郷と海』により第11回藤村記念歴程賞受賞。 * 1977年(昭和52年) *:11月14日 埼玉県の公団住宅の自宅浴槽で急性心不全のため死去。。墓は、多磨霊園の『信濃町教會員墓』。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石原吉郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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