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石原 文雄(いしはら ふみお、1900年(明治33年)3月3日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、山梨県出身の日本の小説家。 ==略歴== 山梨県西八代郡市川大門町(現在の市川三郷町)に生まれる。祖父の代から「奈良屋」という旅館を営み、文雄が5歳の時に父親が26歳で逝去し、以後は祖父母と母親に育てられている。大正7年(1918年)に、当時甲府市伊勢町(甲府市伊勢)に所在していた山梨県立農林学校(現在の山梨県立農林高等学校)を卒業し、長野営林署や小学校の代用教員を務めた。 その後は作家活動をしながら山梨の文化振興に寄与した。また、市川大門町の町会議員として、昭和22年(1947年)5月29日から昭和24年(1949年)6月22日まで議長を務めている。また、山梨県立農林高等学校、山梨県立市川高等学校、市川三郷町立市川小学校の校歌を作詞している。 ==作家活動== 昭和2年(1927年)に農民文芸会機関誌『農民』創刊号に発表した「贅沢病」が処女作である。中村星湖、加藤武雄に師事し、24歳から10年間、毎月一編の小説を書き加藤武雄に評価され、その修業が実を結び、文芸誌『新潮』4月号「新進作家特輯」(昭和13年(1938年))に「山村の人々」、同誌12月号(昭和14年(1939年))に「荒地」が掲載され、以後『新潮』に昭和19年(1944年)8月号まで、山里に住む貧しい人々の生活を描いた小説を発表している。 昭和16年(1941年)5月に文芸同人誌『中部文学』第5輯に「断崖の村」が掲載され、「断崖の村」は昭和16年上半期第13回芥川賞の候補作になった。また、同年8月に文昭社から出版された長編小説『太陽樹』は新潮文学賞の候補作となっている。 ==著書== *『太陽樹』文昭社 昭和16年(1941年)刊 *『現代の河』(新日本文芸叢書)錦城出版社 昭和17年(1942年)刊 *『東宮大佐と加藤完治 滿蒙開拓の父』潮文閣 昭和19年(1944年)刊 (『植民地帝国人物叢書』ゆまに書房で復刻) *『断崖の村』高須書房 昭和21年(1946年)刊 *『青春の笛』増進堂 昭和22年(1947年)刊 *『太陽樹 下巻』第一書店 昭和22年(1947年)刊 *『夢魔の街』(中部文学叢書)中部文学社 昭和23年(1948年)刊 *『美しき抑制』中部文学社 昭和24年(1949年)刊 *『ひかりの枝』甲陽書房 昭和25年(1950年)刊 *『影と影』甲陽書房 昭和35年(1960年)刊 ==参考== *『峡中芸術家大鑑 上巻』山梨毎日新聞社編 昭和23年(1948年) *『山梨の文学』山梨日日新聞社編 平成13年(2001年) *『山梨文芸の研究』白倉一由 平成21年(2009年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石原文雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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