|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 石 : [こく, いし] 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 二 : [に] 1. (num) two
石原 雅二郎(いしはら つねじろう〔『人事興信録』第14版 上、イ174頁。〕、1888年(明治21年)3月6日〔 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚、政治家、教育者。官選県知事、津市長、中央大学教授。 ==経歴== 福岡県企救郡小倉町紺屋町(現北九州市小倉北区)で石原雅広の二男として生まれる〔「石原雅二郎三重県津市長ニ任スルノ件」〕〔『新編日本の歴代知事』343頁。〕。福岡県立中学修猷館を経て〔『修猷館同窓会名簿 修猷館225年記念』同窓会員6頁。〕、第一高等学校を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し京都府属となる〔〔『新編日本の歴代知事』199頁。〕〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』205頁。〕。 1915年9月、東京府属兼内務属となる。以後、栃木県理事官、特殊財産管理局事務官・第二課長、警保局図書課長、同外事課長、兼同保安課長、警察講習所教授兼内務書記官、社会局社会部長、同保険部長などを歴任〔。 1932年6月28日、山形県知事に就任。凶作への対策、農村経済の回復に尽力〔。1934年10月30日、千葉県知事に転任。県営水道建設の推進、凖政治体制の整備、食糧増産体制の整備などに尽力〔。1937年7月7日に依願免本官となり退官した〔『官報』第3153号、昭和12年7月8日。〕。 その後、中央大学教授、大正大学講師を務めた〔。終戦後の1945年11月、津市長に就任。市民生活の復興と安定に努めたが、1946年5月に市長を辞任した〔『日本の歴代市長』第2巻、617頁。同書では石原の名前を「雅三郎」と誤って記載している。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石原雅二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|