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石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井龍二、1941年5月18日 - 2013年3月9日)は、日本の作詞家・作曲家。 == 人物 == 東京都新宿区出身。母子家庭に育ち、少年時代は寂しがりやであった。職業を転々とするうちに作詞家を志すようになり、当時作詞家石本美由起が主催していた、かつての作詞同人誌『新歌謡界』にこつこつと作品を投稿しながら、デビューのチャンスをうかがっていた。同じく『新歌謡界』出身である作詞家山上路夫とは、同期の良きライバルの間柄である。先輩作詞家などから比較対象とされることも度々で、作風の違いなどから「貴公子の山上」「野生児の沢ノ井」などと揶揄されることも少なくなかった。 修行時代からプロとなった後も、ペンネームは修行当時の「沢ノ井千江児」を永く使用していた。「沢ノ井」は実名の姓で「千江児」は母親の名である「千江」に由来する。家庭の事情から女手一つで育てられたことから、母への思慕は深く、一般によく知られている石坂まさをに改名したのは28歳で藤圭子をプロデュースしミリオンセラーとなる直前のことであった。その後も、プロデューサー兼作詞家というスタンスで作詞活動を行い、演歌の世界でヒットを連発する。 私生活では、夫人との間に二男を儲けており、兄弟共に音楽の道を選んでいる。 その一方で少年期から病弱であり、肺結核を患ったり、糖尿病が原因の網膜剥離による左眼失明といった苦難にあう。それでも秋吉恵美のアルバム「心歌」のプロデュースなど、人生をテーマとした作詞活動に情熱を注いだ。 2013年3月9日、長年の闘病生活の末にこの世を去った〔石坂まさをさん死去、藤圭子の“育ての親” サンケイスポーツ 2013年3月11日閲覧〕。。また、同年の8月22日には藤圭子も高層マンションから飛び降り自殺した〔歌手の藤圭子さん自殺か マンションから転落死 サンケイスポーツ 2013年8月22日閲覧〕。奇しくもこの翌日は関係者有志による『石坂まさをを偲ぶ会』が都内の会場で開かれる予定日となっていた。会は予定通り催された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石坂まさを」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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