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石山 基文(いしやま もとふみ、1827年2月2日(文政10年1月7日)- 1891年(明治24年)11月4日〔『明治維新人名辞典』78頁。〕)は、幕末の公家、明治期の官僚・華族。子爵。幼名・千代麿〔。 ==経歴== 山城国京都で、姉小路公遂の二男として生まれ、石山基逸の養子となる〔〔『幕末維新大人名事典』上巻、124頁。〕。天保12年(1841年)に元服し昇殿を許され左京権大夫となる〔。安政5年(1858年)廷臣八十八卿列参事件に加わった〔。文久3年10月(1863年)左少将に就任、さらに左兵衛督となる〔。元治元年7月19日(8月20日)の禁門の変では長州藩側として動き、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられた〔〔。慶応3年1月(1867年)赦免され、その後、左近衛権中将に任じられた〔。 慶応4年9月7日(1868年10月22日)弁事として出仕〔『百官履歴 下巻』301-303頁。〕。以後、左近衛督、宮内省出仕、次侍従などを歴任し、明治4年9月29日(1871年11月11日)侍従に就任〔。明治5年4月28日(1872年6月3日)免本官となった〔。 1884年7月8日、子爵を叙爵した〔『官報』第308号、明治17年7月9日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石山基文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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