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石山 基正(いしやま もとなお、1843年5月6日(天保14年4月7日)- 1894年(明治27年)12月28日〔『明治維新人名辞典』78頁。〕)は、幕末の公家、明治期の官僚・華族。子爵。通称・亀麿〔。 ==経歴== 山城国京都で石山基文の長男として生まれる〔。安政3年12月7日(1857年1月2日)に元服し昇殿を許され、安政4年5月15日(1857年6月6日)右兵衛権佐となる〔〔『石山家譜』〕。元治元年6月(1864年)横浜鎖港督励の三八卿連署に加わり、また、元治元年7月19日(8月20日)の禁門の変では父・基文と共に長州藩側として動き、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられた〔。慶応3年1月(1867年)赦免となる〔。 慶応3年12月9日(1868年1月3日)王政復古を迎え、同年12月22日(1月16日)三職書記御用掛となる〔『百官履歴 上巻』265-267頁。〕。以後、参与助役、参与・会計事務局判事加勢、参与・会計事務局権判事、弁官事候所出仕、宮内省出仕、宮中勤番、雅楽局出仕・助准席、式部寮御用掛、式部寮八等出仕、雅楽部副長兼掌典などを歴任〔〔。 父・基文の死去により、1891年12月10日、子爵を襲爵した〔『官報』第2536号、明治24年12月11日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石山基正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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