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石岡 美紀(いしおか みき、本名:別所 美紀(べっしょ みき)、1969年12月19日 - )は、日本のシンガーソングライター・フラメンコ舞踊家。estudio LIBERTAD (エステューディオ リベルタ)主宰。東京都大田区出身。血液型A型。 == 来歴 == 母親の影響を受けて、幼少の頃より歌舞音曲に親しむ。現在でもクラシックバレエ・日本舞踊・ピアノなどの稽古事を趣味で続けている。ライブにおいてアコースティック・ギターやアコーディオンを演奏することがあるが、それらについては独学であるとインタビューで答えている。小学生の頃はピンク・レディーや松田聖子に憧れるごく一般的な子供だったが、アメリカのテレビ番組でモンキーズを知ったことから洋楽に関心を持った。ただし、同級生の前で実際に歌っていたのはアイドルの楽曲だったようである。その後、イーグルスやリンダ・ロンシュタットの楽曲に深い感銘を受けた。 15歳の頃より作詞・歌唱による自己表現を開始し、詩編や歌唱デモテープをレコード会社や音楽事務所に送り始めた。18歳の頃より作詞提供の仕事を始め、その作品数はOVA主題歌を中心に100を超える。その後、作詞を多く手掛けていたポリドール・レコードのプロデューサーの目に留まり、ポリドールよりデビューが決まった。 1991年9月1日、アルバム『Good Morning』でメジャーデビュー。当時の女性ボーカルブーム(ガールポップ・ブーム)に後押しされたこともあって、デビューから数年間は恵まれたポジションで活動していた。1991年12月には、日本テレビ新人音楽祭で新人賞を受賞している。1992年4月からはラジオパーソナリティを担当するようにもなり、FMラジオ・音楽情報雑誌『FM STATION』のFMパーソナリティ人気投票では2年連続で女性部門1位を受賞している。作詞家としても活動し、様々なアーティストに詞を提供し続けている。また、過去に一度だけ声優に挑戦したこともある。 その後も所属事務所やレコード会社の移籍を経ながら音楽活動を続けていたが、1998年にスペイン国立バレエ団などが主催するフラメンコ舞踊をいくつか鑑賞して感動に突き動かされ、同年夏からフラメンコ舞踊を始めた。本場のフラメンコに触れるべくスペインに短期留学し、帰国後はフラメンコ舞踊家・小松原庸子や来日中だったアドリアン・ガリア(現:アントニオ・ガデス舞踊団所属)に師事した。 以後はフラメンコ舞踊家・フラメンコ講師としての活動が主になり、フラメンコ舞踊家として定期的にタブラオライブに出演。また、その傍らでフラメンコ + ポップスをコンセプトとする音楽ユニット「nana」に歌・作詞・舞踊担当者として参加している。師のガリアとは、石橋凌のプロモーションビデオ『カクテル・トゥナイト』でペアダンスを披露している。 2007年5月、BENNIE Kの全国ツアー『WORLD TOUR!? in JAPAN』にフラメンコダンサーとして参加。フラメンコだけでなく、フラダンスも披露した。 2011年2月、「24時間の神話」でデビューした深夜ラジオ仲間の双子のデュオ「VOICE (ユニット)」の兄・別所秀彦から事務所宛に連絡があり交友が復活。 きっかけは、「たまたま“石岡美紀フラメンコ教室”の看板をみかけて、懐かしくてHPを調べて事務所にメールした」という事。 2011年4月、 5月12日配信のインターネットラジオにVOICEがゲスト出演。 自由が丘、Estudio naranjaでのフラメンコ教室主宰を経て、石岡美紀フラメンコ教室Estudio LIBERTADを設立。 2011年9月、都立大学にてスタジオをオープンさせる。 2011年9月、メジャーデビュー20周年を機にシンガーソングライター活動を休止。 2012年2月22日、 VOICEの兄・別所秀彦と元旦に入籍した事を公式ブログで発表・報告。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石岡美紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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