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石川利政(いしかわ としまさ、? - 慶応4年(1868年))は幕末の旗本。外国奉行、最後の江戸北町奉行などを務めた。当初の名は謙三郎。従五位下を受け、駿河守、のちに河内守と改称する。 == 経歴 == 一橋家家臣・石川源兵衛の子として生まれ、文久3年(1863年)、小姓組より小納戸役となったが翌年に御役御免となる。 慶応2年(1866年)、幕府とロシア国間の樺太国境画定交渉の遺露使節団の一員に抜擢され、当時行われたロシア国との交渉記録を遺した。慶応3年(1867年)、帰国後は外国奉行に就任し、のちに兵庫奉行へと転じた。 慶応4年(1868年)、前任の小出秀実の跡を受け(最後の)江戸北町奉行に就任する。幕府より政権を譲渡された官軍が、江戸市中の取締を行うため奉行所を廃止する際、官軍側は石川を大目付に抜擢したが、石川は当時の幕府側の態度を批判しついには切腹したと伝えられる。 墓は浅草長敬寺にあったとされるが、現在は不明となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川利政」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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