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石川 康勝(いしかわ やすかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。信濃奥仁科藩主。石川数正の次男。 == 生涯 == 数正と共に徳川家康に仕える。家康の次男秀康が豊臣氏の人質に取られた時、兄康長と共に同行した。後、父の出奔に伴い、父兄と共に豊臣秀吉に仕えた。父の死後、遺領の信濃松本藩10万石のうち、安曇郡1万5,000石を相続。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、兄と共に東軍に与して所領を安堵されている。 慶長18年(1613年)、兄の領地隠匿に連座したとして改易された(大久保長安と縁戚関係にあったことも理由とされる)。慶長19年(1614年)に大坂の陣が勃発すると豊臣方に与して大坂城に入る。大坂冬の陣における真田丸の戦いの最中に配下が火薬を誤爆させ、康勝自身も負傷したが、この騒ぎを東軍が内応の合図と勘違いした一件が有名である。翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣において天王寺・岡山の戦いの天王寺口の将として出陣、真田信繁隊と運命を共にして乱戦の中で戦死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川康勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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