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石川理紀之助 : ミニ英和和英辞書
石川理紀之助[いしかわ りきのすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [り]
 【名詞】 1. reason 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [すけ]
 (n) assistance

石川理紀之助 : ウィキペディア日本語版
石川理紀之助[いしかわ りきのすけ]
石川 理紀之助(いしかわ りきのすけ)は秋田県生まれの篤農家(とくのうか)。篤農家は農業に熱心で研究的な人。
明治から大正期の国内有数の農業指導者。秋田県種苗交換会の先覚者。
生涯を農村の更生、農家の救済、農業の振興のために捧げつくした功績は全国に知られ、秋田の二宮尊徳翁と称せられ、【聖農】、【農聖】、【老農】と敬称されている。
和歌を詠むことを日課とし、各地の歌人と交流を持つ一流の文化人であった。著書は871冊。生涯の詠歌数は25万~30万首である。
1845年4月1日-1915年9月8日(弘化2年2月25日-大正4年9月8日午前9時40分)。享年71。
現当主は、石川家17代、理紀之助5代(理紀之助の玄孫)の石川紀行氏である。
石川理紀之助の著作の一部は、一般社団法人農山漁村文化協会発行の『明治大正農政経済名著集』(全24巻)、『日本農書全集』(全72巻)、『明治農書全集』(全13巻)に収録されている。農書の著者は全国各地に数多く存在するが、三全集にわたって収録されたのは石川理紀之助ただ一人であり、幕末期~明治・大正期にかけて活躍した理紀之助の足跡を示している。
理紀之助は、毎朝3時に掛け板(かけいた)を打ち鳴らして村人たちを眠りから起こし、まだ夜が明けきらないうちから農事に専念し、困窮した村の再建に尽くした。こんな逸話が残っている。ある猛吹雪の朝、石川がいつものように午前3時に掛け板を鳴らし、雪まみれになって家に入ると、妻が言った。【吹雪の朝に掛け板を打ったところで誰にも聞こえない。ましてこの寒さでは誰も起きて仕事などしないだろう】と。すると、理紀之助はこう答えたという。【そうかもしれないが、この村の人々のためだけに掛け板を鳴らしているのではない。ここから500里離れた人々にも、500年後に生まれる人々にも聞こえるように打っているのだ】と。
*2016年3月30日、文化庁【芸術による地域活性化・国際発信推進事業】の助成を得て、秋田市中心街エリアなかいちのにぎわい交流館多目的ホール(250席)を会場とする劇団わらび座によるミュージカル【新・リキノスケ、走る!】のロングラン公演が決定したとの制作発表記者会見が秋田商工会議所で行われた。上演は2016年11月6日~2017年2月26日、計125回の予定。実行委員会の構成は、秋田県、秋田市、秋田県教育委員会、秋田市教育委員会、秋田魁新報社、JA秋田中央会、秋田商工会議所の7者。「新・リキノスケ、走る!」制作発表記者会見(わらび座)
*2016年3月19日、五城目高校演劇部による石川理紀之助を題材にした演劇「かけ板の音 -HOMAGE TO RICKY-」が潟上市昭和の羽城中学校視聴覚ホールで上演された。理紀之助の思いを伝えようと部員7人が150人を越える観客の前で熱演。地元に何もないと嘆き、県外への進学を考えている高校生の元に理紀之助が現われるというストーリー。理紀之助の思いに刺激を受けた生徒たちが「生まれ育った場所だからこそ自分たちが地元を盛り上げなければならない」と考え直し、地域おこしに取り組むまでを上演した。
*2015年6月18日の衆議院予算委員会の質疑で、秋田三区の衆議院議員村岡敏英は、安倍晋三内閣総理大臣と麻生太郎副総理に、農業の大改革に向けての必要な精神として、【石川理紀之助翁は500里離れた人々にも、500年後に生まれる人々にも聞こえるように掛け板(かけいた)を打ち鳴らしている】という真に人の心を打つエピソードを紹介し、【寝て居て人を起こす事勿れ】の訓言を説明した。
*2008年1月18日、福田康夫内閣総理大臣は、施政方針演説の結びで、『心のじょうぎ  財団法人石川翁遺蹟保存会認可記念  石川榮太郎発行  1957年』6頁記載の石川理紀之助翁の名言「井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ」を引用して、「井戸を掘るなら水が湧くまで掘れ」と自身の決意を表明した。
==石川理紀之助翁の尊称(聖農、農聖、老農)==
石川翁の尊称は、【聖農(せいのう)】、【農聖(のうせい)】、【老農(ろうのう)】の3種類があり、いずれも正しい。
*【聖農】は、人格高潔で生き方において模範になる人の意味合いを込めた敬称。
 *潟上市では、昔から、地元の公民館と潟上市立羽城中学校の校歌で【聖農】が使われている。
 *潟上市は、2012年6月12日公布(2013年1月1日施行)の潟上市自治基本条例で【聖農】と定めている。
 *潟上市教育委員会、石川理紀之助翁資料館(潟上市郷土文化保存伝習館)、石川理紀之助翁顕彰会は、【聖農】を使用している。
 *初見は1935年の『草木谷の山居  聖農石川理紀之助翁言行録  岡部真凡編  修養団秋田県連合会』である。
*【農聖】は、非常にすぐれた農業の賢人の敬称。
 *同様な敬称に、歌聖(柿本人麻呂山部赤人)、詩聖(杜甫)、書聖(王羲之)がある。
 *秋田県立博物館秋田県立金足農業高等学校の秋田県知事小畑勇二郎の碑文、秋田県立小泉潟公園にある水心苑の秋田県知事小畑勇二郎の碑文は、【農聖】を使用している。
 *初見は1915年9月10日付秋田魁新報の『逝ける石川貞直翁』の記事、書籍は1932年の『農聖の精神  児玉庄太郎著  人文閣』である。
*【老農】は、幕末期~明治・大正期に全国で使用された敬称。
 *農書に基づいて在来農学を研究し、これに自らの体験を加えて高い農業技術を身につけた農業指導者。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石川理紀之助」の詳細全文を読む




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