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尾小屋鉱山(おごやこうざん)とは、かつて石川県小松市尾小屋町に存在していた銅山である。 == 操業史 == 江戸時代から、試験的に金の採掘がなされてきた。天和2年(1682年)頃は金山として金が採掘され、その後廃山となったが、宝永年間(1704年-1710年)に再び金の採掘が行われた。しかし、金山としては品位が低く、盛業にはいたらなかった。金山としては注目されなかった尾小屋鉱山だが、明治以降に銅山として脚光を浴びるようになる。 1880年(明治13年)に加賀藩の家老であった横山家が経営に加わり、銅山としての試掘を開始。1886年(明治19年)に銅鉱石の新鉱脈が発見されてから隆盛期を迎える。1896年(明治29年)洪水を機に坑内の施設を近代的なものに変え、1903年(明治36年)には銅生産量が1,000tを超えた。 その後、1920年(大正9年)の2度のストライキを経験するなど労働争議が頻発し〔「尾小屋銅山の罷業」『大阪朝日新聞』1922年4月21日 、「尾小屋銅山盟休事件円満解決」『大阪朝日新聞』1922年4月25日 (神戸大学附属図書館新聞記事文庫)〕、1931年(昭和6年)には経営が行き詰まる〔「金沢の巨星墜つ横山家の総没落」『大阪朝日新聞』1924年8月6日 (神戸大学附属図書館新聞記事文庫)〕。鉱山は日本鉱業の手に渡った後、1962年(昭和37年)には北陸鉱山(日本鉱業の関連会社)へと再三経営者が変わり、1971年(昭和46年)閉山された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾小屋鉱山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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