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石川県道・富山県道27号金沢井波線(いしかわけんどう・とやまけんどう27ごう かなざわいなみせん)は、石川県金沢市と富山県南砺市を結ぶ主要地方道(石川県道・富山県道)である。 == 概要 == * 起点:石川県金沢市石引一丁目606番1地先(=石引一丁目交差点・石川県道10号金沢湯涌福光線交点) * 終点:富山県南砺市山見329(=国道471号交点) 当路線は、石川県金沢市と富山県南砺市(県南西部)及び東海北陸自動車道福光ICを相互に結ぶ上で重要な道路となっている〔金沢市角間・田上・もりの里周辺 - 福光IC - 五箇山・白川郷・高山方面へと通行する場合、北陸自動車道を経由すると少し遠回りであり、なおかつ通行料が発生するため当路線を利用した方が効果的な場合がある。〕。しかしながら、石川県金沢市の角間 - 県境付近は車のすれ違いが困難な箇所や急カーブ・急勾配が多く、大雨や積雪に伴う通行規制が行われることがあったほか、県境付近では冬季は通行止となっていた。これらを解消すべく、石川県は1992年(平成4年)から改良事業を開始し、実に20年もの歳月を経た2013年には全て完了することとなった。 == 歴史 == * 藩政期は「二俣越」や「殿様街道」と呼ばれ、金沢 - 越中間の最短ルートとして重要な役割を担った。 * 1972年(昭和47年)3月31日:路線認定。 * 1982年(昭和57年)6月:医王ダム建設に伴う道路付け替えにより二俣隧道(金沢市)開通。 * 1985年(昭和60年)9月:医王トンネル(西礪波郡福光町 / 現・南砺市)開通。 * 1993年(平成5年)頃:金沢大学が金沢城キャンパスから、角間キャンパスへと移転開始。金沢市旭町 - 若松(現・もりの里) - 金沢大学付近の改良が漸次完了。 * 2001年(平成13年)9月:小立野トンネル(金沢市)が開通。これに伴い、起点を大学病院前交差点(金沢市石引)から石引1丁目交差点に移動。 * 2003年(平成15年)3月:二俣バイパス(金沢市)が開通。 * 2004年(平成16年)6月:角間 - 小二又(金沢市)までの1.3kmが2車線(片側1車線)化。 * 2006年(平成18年)9月:小二又 - 清水(金沢市)までの1.0kmが2車線(片側1車線)化。 * 2008年(平成20年)3月:田島バイパス(金沢市)が開通。 * 2011年(平成23年)4月:荒山トンネル及び荒山大橋(金沢市)が開通。 * 2013年(平成25年)2月:金沢市と南砺市が共同で金沢井波線の「二俣越」区間について、国史跡指定を目指して発掘調査に乗り出すことを表明。 * 2013年(平成25年)11月:清水 - 田島(金沢市)までの1.4km間及び清水田島トンネルが開通。予定より1年前倒しで開通となり、石川県内における改良事業が全て完了。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川県道・富山県道27号金沢井波線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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