|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 石 : [こく, いし] 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) ・ 石川県 : [いしかわけん] (n) Ishikawa prefecture (Hokuriku area) ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 県 : [けん] 【名詞】 1. prefecture ・ 県道 : [けんどう] 【名詞】 1. prefectural road ・ 号 : [ごう] 1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name ・ 丸 : [まる] 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 加 : [か] 【名詞】 1. addition 2. increase
石川県道43号丸山加賀線(いしかわけんどう43ごう まるやまかがせん)は、石川県小松市と同県加賀市を結ぶ主要地方道(石川県道)である。 == 概要 == 小松市南部に位置する新丸地区・大杉谷地区と加賀市東部とを結ぶ。しかし、小松市大杉町から同市菩提町間の一般車両の通行が通年通行不能となっている〔迂回路として、赤瀬ダム横の市道から菩提町、そして加賀市分校町に抜けられるようになっている。〕。車両通行不能区間内に戸谷隧道がある県道として知られている。 * 起点:石川県小松市丸山町シ3番100地先(=牛ヶ首峠・国道416号交点) * 終点:石川県加賀市分校町フ88番1地先(=分校交差点・国道8号(国道305号と重複)交点) == 歴史 == * 1930年(昭和5年):戸谷隧道竣工〔 『道路現況調書』 p138-p139 石川県土木部道路整備課、2010年 〕。 * 1935年(昭和10年)11月18日:能美郡大杉谷村(現在の小松市南部)の山崎橋が竣工〔『石川縣年表 昭和篇 壹』p387 石川県史編集室、1957年。〕。 * 1960年(昭和35年)10月15日:道路法(昭和27年法律第180号)第7条の規定に基づき、加賀市梶井町(現在の梶井北交差点、石川県道39号山中伊切線上)を起点に、那谷寺正門前(小松市那谷町)を梶井那谷線(整理番号57)として路線認定〔『昭和35年10月15日 石川県公報 号外(第67号)』p1218の24 昭和35年10月15日 石川県告示第505号。〕。同路線は、起点から東へ進み、加賀市分校町を横切って、分校交差点(現在の終点・国道8号との交点)を通り、以降は現在の当県道とほぼ同じ経路を通って那谷寺前の終点に至るコースだった。 * 1973年(昭和48年)3月31日:小松市大杉町辰の部(現在の石川県道161号大杉長谷線の交点)から那谷寺の正門前を辰の部那谷線として路線認定〔『昭和48年3月31日 石川県公報 号外(第30号)』p1 昭和48年3月31日 石川県告示第196号。〕。 * 1982年(昭和57年) * 4月1日:道路法(昭和27年法律第180号)第56条の規定に基づき、梶井那谷線の一部および辰の部那谷線などを「丸山加賀線」として主要地方道に指定〔『法令全書 昭和57年4月号』p371 昭和57年4月1日 建設省告示第九百三十五号。〕。 * 10月5日:道路法(昭和27年法律第180号)第10条第1項の規定に基づき、梶井那谷線および辰の部那谷線を路線廃止〔『昭和57年10月5日 石川県公報 第9463号』p11 昭和57年10月5日 石川県告示第623号。〕。同日、梶井那谷線のうち、加賀市梶井町から同市分校町の分校交差点の区間を除く区間および辰の部那谷線の全区間を主要地方道として現在の路線名で新たに路線認定〔『昭和57年10月5日 石川県公報 第9463号』p10 昭和57年10月5日 石川県告示第622号。〕。 * 2009年(平成21年):戸谷隧道を経る車両通行不能区間の小松市大杉町 - 同市菩提町の両端部にバリケードが設置され、関係者(車)以外の通行を遮断。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川県道43号丸山加賀線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|