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石川石足 : ミニ英和和英辞書
石川石足[いしかわ の いわたり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [あし]
 【名詞】 1. foot 2. pace 3. gait 4. leg 

石川石足 : ウィキペディア日本語版
石川石足[いしかわ の いわたり]
石川 石足(いしかわ の いわたり、天智天皇6年(667年) - 天平元年8月9日729年9月6日)は、飛鳥時代後期から奈良時代初期の貴族大紫蘇我連子の孫。少納言蘇我安麻呂の子。官位従三位左大弁
== 経歴 ==

和銅元年(708年正五位上河内守に叙任される。のち、和銅7年(714年従四位下養老3年(719年)従四位上に昇進する。
養老4年(720年太政官の首班にあった右大臣藤原不比等の没後に行われた人事異動にて、左大弁に抜擢される。この任官については、それまで石川氏氏上であった石川難波麻呂が没し、石足が氏上となった可能性も指摘されている〔木本82 〕。翌養老5年(721年大宰大弐に転じるが、大宰帥多治比池守は本官が大納言であり遥任であったため、石足は九州へ下向したと想定される〔木本83 〕。養老7年(723年正四位下に昇叙。
神亀元年(724年天武天皇夫人であった大蕤娘蘇我赤兄の娘)の〔『続日本紀』神亀元年7月10日条〕、神亀5年(728年)にはその娘の田形内親王薨去にあたり〔『続日本紀』神亀5年3月5日条〕、石川氏を代表して葬儀の監護を務めている〔木本84 〕。
伯母の蘇我娼子藤原不比等に嫁いで、藤原武智麻呂藤原房前藤原宇合を儲けており、石足は藤原四兄弟と従兄弟の関係にあったことから、藤原四子政権成立にあたっては彼らと協力してその政権確立を助けた。神亀6年(729年)2月の長屋王の変に際しては、武智麻呂に近い多治比県守大伴道足とともに権参議に任ぜられて、太政官における長屋王排除の議決決定に尽力し〔木本86 〕、長屋王の自殺後にはその弟である鈴鹿王の邸宅に派遣されて、長屋王の兄弟姉妹・子孫とその妻を赦免するを伝えている〔『続日本紀』神亀6年2月18日条〕。3月には変での功労によって従三位に昇叙された〔直木孝次郎「長屋王の変について」『奈良時代史の諸問題』所収、塙書房、1968年〕。同年8月9日に薨去。享年63。最終官位は左大弁従三位。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石川石足」の詳細全文を読む




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