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石川 総詳(いしかわ ふさあき)は、江戸時代中期の旗本。総氏系石川家(保久石川家)5代。 == 生涯 == 寛延3年1月(1750年2月)石川総共の次男として誕生した。宝暦13年9月1日(1763年10月7日)将軍徳川家治に拝謁し、家治嫡子家基に近侍する。明和9年2月29日(1772年4月1日)林信言の次女と婚姻し、安永4年12月6日(1775年12月28日)遺跡を継ぐ。寛政6年閏11月17日(1795年1月7日)致仕する。文化9年11月28日(1812年12月31日)築地萬年橋の屋敷にて死去した。 天明元年(1781年)総詳が支配する保久石川家領地三河国加茂郡羽布村(現愛知県豊田市羽布町)が同国設楽郡黒瀬村(現愛知県新城市作手黒瀬)他2村に対して山論の訴えを行ったことが資料として残されており、当時盛んに発生した山論争議の貴重な資料となっている〔「司法資料 別冊 第19号 (裁許留)」 「96 三州羽布村と同国黒瀬村外弐ヶ村、山出入」の項(司法省秘書課 1943年)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川総詳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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