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石川貞當 : ミニ英和和英辞書
石川貞當[いしかわ さだまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 

石川貞當 : ウィキペディア日本語版
石川貞當[いしかわ さだまさ]

石川 貞當(いしかわ さだまさ)は、江戸時代前期の旗本。貞當系石川家は三河国額田郡大島村(現愛知県豊田市追分町)に陣屋が置かれたことから大島石川氏(おおじまいしかわし)とも呼ばれ、その家系は明治維新まで旗本家として続いた。後に江戸水道橋口(現東京都文京区本郷1丁目東京都立工芸高等学校)に屋敷を賜った。
== 生涯 ==
慶長18年(1613年)美濃国大垣藩主であった石川忠総の四男として誕生。母は、堀尾吉晴の娘である。寛永9年(1632年)御書院番となり2百石を賜い、進物番・同組頭となり寛永16年12月(1640年2月)布衣着用を許される。この後御書院番組頭を務め寛永18年1月2日(1641年2月11日)従五位下・阿波守に叙任する。
寛永19年12月(1643年2月)1千8百石が加増され合わせて2千石を知行し、慶安元年10月(1648年12月)世継ぎである徳川家綱附き大番頭となり西の丸に伺候する。慶安3年12月(1651年2月)父忠総が死去した翌年の慶安4年4月4日(1651年5月23日)に父遺領の内より三河国額田郡加茂郡の内で7千石の分与を受け、先に幕府より賜った2千石を返却する。承応2年6月29日(1653年7月23日)大阪大番として赴任中に死去し、一時弟の総氏が役目を引き継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石川貞當」の詳細全文を読む




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