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石州銀(せきしゅうぎん)は、16世紀後半に石見銀山で産出した銀で造られた丁銀である。毛利氏の領国貨幣とされる。石見国、石見銀山の産銀が主であるが、周防国、一之坂銀山を示す「天又一」極印の打たれた丁銀も存在する。石州丁銀(せきしゅうちょうぎん)あるいは萩丁銀(はぎちょうぎん)、萩古丁銀(はぎこちょうぎん)、萩判銀(はぎばんぎん)とも呼ばれる。 == 概要 == 平たい長楕円形状の丁銀であり、灰吹銀を鏨で打ち延ばしただけの素朴な造りである。金は薄く打ち延ばされ譲葉金として大判の原型となったのに対し、薄く打ち延ばすのが困難である銀は丁銀の形となり、表面に細かいひび割れが見られる〔青山礼志 『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』 ボナンザ、1982年〕。大小様々で形状や鏨目も一定ではない。文字の極印はないが、やがてより薄手の譲葉丁銀が造られ、「御取納」、「御公用」などの文字極印が打たれたものも出現し、江戸時代の丁銀の原型となった。 この当時の銀は江戸時代初期に至るまで秤量貨幣として切遣いされるのが一般的で、しばしば切銀も見られる。丁銀の製造および切断は銀屋(かなや)と呼ばれる銀の精錬、買入れおよび両替を行う両替商で行われ、後の銀座の前身となる。 江戸時代に周防国熊毛郡小周防村(山口県光市)で発見され、現在毛利博物館に所蔵されている完全品15点および切銀29点がある〔石見銀山展実行委員会 『輝きふたたび 石見銀山展』 島根県立古代出雲歴史博物館、石見銀山資料館、山陰中央新報社、2007年〕。このうち一点の裏面に「卅貮文目 元亀元年五月十日」(32匁、119グラム、1570年6月13日)の墨書が見える。1974年には山口県阿東町から出土している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石州銀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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