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石巻ハリストス正教会 : ミニ英和和英辞書
石巻ハリストス正教会[いしのまきはりすとすせいきょうかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [まき]
 【名詞】 1. volume 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
正教 : [せいきょう]
 【名詞】 1. orthodoxy 2. (Greek) orthodox church 
正教会 : [せいきょうかい]
 (n) Orthodox Church
教会 : [きょうかい]
 【名詞】 1. church 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

石巻ハリストス正教会 : ウィキペディア日本語版
石巻ハリストス正教会[いしのまきはりすとすせいきょうかい]
石巻ハリストス正教会(いしのまきハリストスせいきょうかい)は、宮城県石巻市にあるキリスト教正教会教会日本ハリストス正教会に所属している。なお、「ハリストス」は「キリスト」の意味である〔「ハリストス」は、キリストのギリシャ語表記""のギリシャ語読みから転写された片仮名表記である。""は古典ギリシャ語再建音では「クリストス」となるが、中世から現代に至るまでのギリシャ語の読みでは「フリストス」である。これを受けてブルガリアロシア等のスラヴ語圏の多くで「フリストス」に類する発音がなされるようになり、日本正教会は正教会の一員として、これら正教会の優勢な地域の音を受け継ぎ、片仮名表記「ハリストス」を採用している。〕。

== 教会の歴史 ==

1872年亜使徒聖ニコライ(ニコライ・カサートキン)〔本項においては、登場する信徒名を原則として日本正教会の慣習に則り、「聖名・姓・名」の順で記載する。〕が全国宣教の拠点を東京府神田駿河台(現・東京都千代田区神田駿河台)に置き、同年12月の第2回洗礼において宮城県牡鹿郡湊村(現・石巻市湊)出身の信徒・セルギイ勝又昱が受洗した。これ以降、石巻近辺の各地に正教会伝教師(伝教者)が派遣されて宣教が行われた。
湊では伝教者ボリス山村の宣教によりモイセイ平塚恒次郎をはじめとする29名が1877年(明治10年)1月8日パウェル沢辺琢磨神父巡回時に洗礼を受け、湊聖枝教会が設立された。石巻ではペトル朽木伝教者の宣教により、イオアン伊藤忠右衛門をはじめとする23名が同年12月11日に沢辺神父から洗礼を受け、教会が設立された。この時の設立時の名称は「石巻光明会」であった。
1880年(明治13年)、牡鹿郡石巻村(現・石巻ハリストス正教会の所在地)に聖使徒イオアン会堂(旧会堂)が設立された〔日本正教会東日本主教区の公式サイト などでは「1879年11月」となっており、石巻市の公式サイト や参考文献と年号の食い違いがみられるが、ここでは「1880年」を採った。〕。十字架型の平面を持つ本格的な会堂であり、教役者住宅も併設されていた。この時、教会の名称が「石巻光明会」から、「石巻聖使徒イオアン教会」となっている。
以降教勢の拡大は目ざましく、周辺10数km四方の地域に10箇所の教会が20年あまりの間に誕生している。
*1881年(明治14年)4月14日 - 桃生郡中島村(河北町中島→現・石巻市中島)のティモフェイ門間徳右衛門をはじめとする13名が、1878年(明治11年)から登米郡北方村(現・登米市迫町佐沼)に常駐していたマトフェイ影田神父の巡回時に受洗。「中島洗礼教会」創立。
*1885年(明治18年) - 。牡鹿郡渡波町(現・石巻市渡波)、牡鹿郡女川村(現・女川町)、桃生郡名振浜村(現・石巻市雄勝町名振)等にも受洗者が相次いだ。
*1898年(明治31年)3月6日 - アンナ渡辺つま をはじめとする14名がイオフ水山神父から受洗。。
1881年(明治14年)6月には、亜使徒聖ニコライ東北巡回の途中に石巻ハリストス正教会を訪れている。当時の石巻には名簿上116名、実勢としては82名の信徒がいたとされる〔 ニコライ著/中村健之介中村喜和 ・安井亮平 ・長縄光男編訳『宣教師ニコライの日記抄』北海道大学出版会 ISBN 4-8329-3291-8〕。
しかし1904年(明治37年)の日露戦争1917年大正6年)のロシア革命後、日本正教会が全国で教勢を低迷させていったことに伴い、この地域での教勢も停滞する。対露感情の悪化や、実際には革命によって共産主義政権からロシア正教会をはじめとした正教会は弾圧を蒙っていたにもかかわらず正教会が「アカ(共産主義)の仲間」との偏見をもたれたことや、革命によりロシア正教会から資金援助が途絶え、伝教者の多くを解雇せざるを得なかったことなどが主な要因であった。
石巻市周辺地域に設立された教会組織は順次、聖使徒イオアン教会に統合され、今に至っている。2016年(平成28年)3月現在の管轄司祭はルカ田畑隆平である〔石巻ハリストス正教会・聖使徒イオアン聖堂:日本正教会 The Orthodox Church in Japan 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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