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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 石 : [こく, いし] 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) ・ 帯 : [おび, たい] 1. (n-suf) band (e.g., conduction, valence)
石帯(せきたい)は、束帯装束のときに用いられる黒皮製の帯。 皮製の帯部分に、メノウや犀角(サイの角)などの飾り石を縫い付けているのが名前の由来。 本来、通常のベルトのように彫金を施した金属製のバックルでとめたが、平安時代末期以降前を紐で結びとめる方式になり、背中に当てる部分と結び余り部分のみを皮で作った二部構成となった。 == 形状 == かなり長寸だが現在のベルトと同様の形状。本体は黒皮製で「床」と呼ばれ、前を鉸具(かこ/バックル)で留めて鉈尾(だび/ベルトのバックルと反対側の端)を背中にまわった帯の間に差し込む。 この背中に差し込む結び余り部分を上手(うわて)と呼び、後に床と上手の二部式となる。 奈良時代には薄い皮を折り込んで裏面中央で合うようにし、折り山にあたる上下端は麻紐の芯を入れて丸みをつけるものが多い。これを黒く着色して漆を薄くかけて艶出しした。江戸時代の遺品は練らない革(新しかったときのことはわからないが、現状ではあめ色の半透明な堅いものに見えるものが多い)を芯にして、薄い革を折り込み、裏面中央で合うようにして包む。折り山にあたる上下端にはこよりなどを芯にいれることが多い。また江戸時代の遺品は漆を厚くかけるのでとても堅い。石帯の硬化は近世に入ってからのようで、室町時代初期の熊野速玉大社摂社であった阿須賀神社神宝の石帯は丸めて保存できるほどやわらかい。 床には着用時に脇から背中に回る部分に銙(か/金偏に夸)と呼ぶ宝玉十個近くを十文字に糸を渡して縫い付ける。 金偏が付くことからも分かるように、本来金銀などで製作し、特に公卿は有文と呼ぶ獅子や唐風の草花の模様の彫金を施したものであったが、延暦年間に白玉が許されて白石などを使うようになった。 懐で隠れる前の部分には石はつかない。 平安末期以降は、床の背中部分と上手のみを別々に皮で作って紐で結び、繋ぎ目部分から延び、長短二本の紐のうち、長い紐(懸緒)を逆側の留め具(受緒)に通して短い紐(待緒)と結ぶようになった。 石は奈良時代には鋲で留められ、平安初期頃には針金等も使われた。阿須賀神社神宝の石帯では、石の側面から裏面にむけて斜めに目立たぬようにあけられた穴三つに糸を通して綴じられるが、室町中期頃より石の上から糸でかがりつける方法がみられるようになり、江戸時代にはもっぱらこの方法のみとなる。左撚右撚の糸二本でかがり、山科流では裏が菱型になるように、高倉流では横倒しのv字になるようにする。 なお、平安時代前期の『延喜式』「内匠寮式」には天皇の瑪瑙帯の材料等が詳しくのせられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石帯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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