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石徹白村(いとしろむら)は、かつて福井県大野郡に存在した村である。九頭竜川の支流である石徹白川上流に存在した。 昭和の大合併の越境合併により、大部分が岐阜県郡上郡白鳥町(現・郡上市)に編入されたが、一部は大野郡和泉村(現・大野市)に編入された。 == 歴史 == * 江戸時代 - この地域は越前国大野郡であったが、郡上藩領であった。 * 1755年(宝暦5年) - 白山中居神社の指導権をめぐっての神主派・神頭職派の争いがきっかけとなり、神頭職派の村民約500人が村から追放され、数十人が亡くなる。(石徹白騒動)。 * 1886年(明治19年) - 上石徹白村、中石徹白村、下石徹白村が合併し、石徹白村となる。 * 1889年(明治22年)7月1日 - 石徹白村、朝日前坂村、角野前坂村、板倉村、後野村、伊月村、川合村、貝皿村、朝日村、下山村、上大納村、下大納村、角野村、鷲村、長野村が合併。下穴馬村となる。 * 1897年(明治29年) - 下穴馬村から旧・石徹白村が分離独立し、石徹白村となる。 * 1958年(昭和33年)10月14日 - 石徹白村の一部(三面、小谷堂)が和泉村に編入される。 * 1958年(昭和33年)10月15日 - 石徹白村の残部が岐阜県郡上郡白鳥町に編入される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石徹白村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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