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石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)は、石敢當などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂、石厳當と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かける。 == 分布 == 元は中国伝来の風習で、福建省が発祥とされている。泰山の頂上にも石敢當が存在している〔石敢當について - 中国の石敢當 〕。似たような魔よけは中国のみならず、台湾・シンガポール等の一部の地域にも見ることができる。 日本では、沖縄本島を中心に、周辺諸島に数多く点在している。また、薩南諸島・奄美群島を含め、鹿児島県にもかなり存在する。沖縄県、鹿児島県以外の日本全国にも分布するがその数は少ない〔石敢當について - 県外の石敢當分布 〕〔てぃーだ --- 石敢當を探せ! 〕〔石敢當が箕面にもあった 〕。小玉正任はその著書で、鹿児島県、1153基、沖縄県は、きわめて多数としており、色々の統計を総合して、1万基であろうか、としている。刻銘から建立年が明らかなものの中では、鹿児島県志布志市にある元和2年(1616年)のものが最も古い。 沖縄県、鹿児島県以外の石敢當は近年になり、主に沖縄出身者により建てられたものが多い。しかし、大分県臼杵市畳屋町には、『豊後国志』によると天正3年(1575年)に建立されたとされる日本最古の石敢當がある(ただし、何度か建て替えられており、現存するものは1877年に建立されたものと考えられている)。臼杵は安土桃山時代に大友氏の貿易港として栄えた町で、この石敢當は明からもたらされたものであると伝えられており、沖縄県や鹿児島県を経るルートとは別に伝来したものである。凝灰岩でできた高さ約1.6mの石碑状のもので、1967年に市の文化財に指定されている。〔下野敏見『南九州の伝統文化 2: 民具と民俗、研究 』〕。建立年が銘刻されているものでは、宮崎県えびの市飯野にある元禄2年(1689年)のものが鹿児島県志布志市のものに次いで2番目に古い〔高橋誠一 (関西大学 東アジア文化交渉研究創刊号)〕。 また、東北地方、特に秋田県には幕末から明治初期に建てられたと考えられる古い石敢當が多数確認されている〔。関東地方においては江戸期の石敢當が埼玉県で2基確認されているほか、栃木県足利市においても1基の所在が確認されている〔下野新聞SOON 〕。東京都品川区では、車両の通り抜けができない道路の脇の植え込みに石灯籠型をした石敢當が1基確認されている〔東京都品川区にて撮影した写真。設置時期は不明。 〕。なお、平成の建造物内ではあるが、東京都墨田区においても1基確認されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石敢當」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shigandang 」があります。 スポンサード リンク
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